『だーれだ?』

 

 たとえばそれは“もしも”の話。
 1人で膝を抱えながら涙を流す少女と、1人で車椅子の上で過ごす少女がもっと早く出会っていたら。

 孤独が怖くて、孤独が辛くて、孤独である事を恐れる高町なのは。
 孤独を傍受し、孤独を享受し、孤独でない事を諦めた八神はやて。
 そんな孤独に苛まれる日常で2人が“最初に”出会っていたら。

 きっと孤独を埋めあうように耽溺して。
 きっと孤独を舐めあうように依存して。

 世界が2人だけの孤島だと思ってしまうほどに狭隘で。
 世界が2人だけの楽園ならと思ってしまうほどに寂寞で。

 桃源郷のように甘く、それが永遠に続けばとも思うほどの幸せだった。
 けれど幸福があれば不幸があるように、幸せな時間は辛い期間と等価であるように。
 始まりがあって終わりがあるように、自ら始まらせて自ら終わらせるように。

「――誰やろうなぁ」

 それは、この物語においての八神はやてが最後に呟く言葉。
 それは、桃源郷が崩れ落ちて失楽園と化した世界で佇む最愛の人を奪われた少女の――。

 

 ■■■ 『2』

 

 八神はやてが睡眠から目を覚ましてまず始めに行うのは。
 現在の時間を知ることでも、起き上がることでも背伸びでも深呼吸でもなく。
 何よりも先に自身と同じベッドで眠る少女の愛らしい寝顔を確認することだった。

「――よかった」

 “今日も、ちゃんと傍にいてくれる”。はやては安堵して、ようやく時間を確認する。
 時計を見れば長針は真下を向き、短針は真上を向いていた。早朝6時、起床にしてはまだ早い。
 二度寝しようにも、一度目が覚めてしまえばそれほど眠くない。どうしようか――はやてがそう考えた折、隣の少女が小さく寝言を呟いた。

「……はやて、ちゃ……ん……」

「……はいはい。私はここにいるで」

 繊細な宝物を扱うように、はやては栗色の美しい髪をそっと撫でた。
 くすぐったそうに「んん……」と吐息をつく少女。それがとても可愛くて、同時にとても愛しかった。
 ――しばらく、この子の寝顔を眺めていよう。1時間でも2時間でも、美しいものは幾ら見つめたって飽き足りることはない。

「私はずーと傍にいる。だから――ずっと私の傍にいてな、なのはちゃん」

 少女の名前は高町なのは。八神はやての大切な“ともだち”で、ただ1人の“かぞく”と呼べる存在だった。

 

「――で、はやてちゃんは私より先に起きてたのに、どうして起こしてくれなかったの? 目覚まし時計も勝手に止めちゃってるし」

「なのはちゃんの寝顔が可愛すぎて、眺めるのに夢中で5時間ほど過ぎてることに気づかんかった。時計を止めたのは今でも反省はしてない」

 ベッドの上でバターを塗ったトーストを口で咀嚼するなのはは少々おかんむりと言った様子。
 少し行儀が悪いとも思えるが、とある事情を八神はやてが“持っている”ので仕方のないことだ。
 八神はやての持つとある事情――“足”が動かないという原因不明の病気。それ故に、はやては日々の大半をベッドの上か車椅子の上で過ごすことを余儀なくされている。

 だからこそなのはは朝食――というより今回は軽食だったからからこそベッドの上で食べていた。
 はやてが動かずとも、はやての手の届く距離だから。無論、普段はリビングでちゃんとテーブルを囲んで団欒を取る。
 今回は時間がなかったのだ。そんな彼女の様子を知ってか知らずか、なんの悪気も見せないはやてはベッドに座るなのはを後ろから抱きとめる形でなのはの髪を梳いていた。

「はやてちゃんが反省してくれないお陰で今日も遅刻なの」

「目覚まし時計が壊れてたってことにしておかへん?」

「それは昨日の言い訳につかっちゃったよ」

「目覚まし時計のセットを間違えた」

「それは一昨日」

「目覚まし時計を盗まれた」

「それは三日前」

「目覚まし時計をガッちゃんに食べられた」

「それは四日前――あれ!? よく考えたら私って今週まともに学校行ってない!?」

「よく考えないでも平日の終わりに気づくことやないと思うんよ」

 現在金曜日、今日が終われば残った週は休日だけある。訂正、どうやら朝に限ってはキチンとしているわけではないようだ。
 さすがに四日連続で重役出勤は不味いと思ったのか――というか、もはや11時を回っているので大遅刻には変わりないのだがそれでもなのはは学校に急ごうと準備を始めた。

 畳まれた制服に身を包み、はやてに梳かされた髪をリボンで両結びに括り上げる。
 白を強調した私立聖祥大附属小学校の制服を着こなすなのはは可憐で、思わずはやては「ほぅ」と感慨の溜息をついてしまう。

「相変わらず反則的、いや犯罪的な可愛さやね。お願いやから誘拐だけはされんといてな?」

「されないよ! いつも思うけど、はやてちゃんは私を過大評価しすぎ。そんなに可愛くないもん私」

「ちゃうって、なのはちゃんが自分を過小評価しすぎなんよ。そこまで自信がないなんてもはや自虐の域やで」

「だからそれははやてちゃんの感覚で……って、そろそろいかないと4時間目にすら間に合わない!?」

 ばたばたと忙しなくなのはが動く。鞄を手に取り、お弁当(はやて作)をそっと入れた。
 最後は鏡で確認だ。おかしな所は内容に思える。首筋に赤い虫刺されのような痕が出来ているが、いつものことなので気にしない。

「えー、ほんまに行ってまうん? おいてかないでー、わたしをすてないでー、がっこうなんていかずにわたしとあそぼー」

「うぅ……棒読みなのにそれでも引き止められそうな自分が悔しい!」

 このやり取りも毎度のことである。
 それでも毎回毎回、学校を休んではやてと過ごすという選択肢に後ろ髪を引かれてしまうのは愛故か。
 けれどその魅力的な提案を頭を振ってかき消して、部屋のドアノブに手をかけた。

「さすがにこれ以上休むと“約束”が違っちゃうもん!」

「はぁー……わかってるよなのはちゃん、行ってらっしゃい。事故には気をつけな」

「うん、行ってきます!」

「――あ!? なのはちゃん、すぐに終わるからちょっとこっち来て!」

「え、なに?」

 はやてはなのはを自分の傍に呼び寄せると、「ちょっとしゃがんで?」とジェスチャーで伝える。
 そのジェスチャーを理解して、なにをするんだろう? と不思議がるも、言う通りにしゃがみ込み――。

「わすれもの」

 ちゅ――と軽快な音を立てて、はやての唇がなのはの頬に触れた。
 瞬間、湯沸かし器がお湯を沸点まで煮えたぎらせるようになのはの顔が真っ赤に染まる。
 ぱくぱくと金魚のように口を開け閉め、古のロボットダンスのようにカクカクしながらなのは立ち上がって再び玄関口に続く扉に向かう。

「……出来れば、早く帰ってきてな?」

「……ダ、ダッシュデカエッテクル」

 ちなみに、このやり取りも週一感覚でやっているのにも関わらず、未だに初々しいバカップルのような反応だというのは、あまりにもなのはが純粋すぎる為――だと思いたい。

 

 ■■■ 『1』

 

 運命というものがあるように、必然というものがあるように。
 その日。高町なのはは傷つき倒れたフェッレット、ユーノ・スクライアとの出会いを果たした。
 誰かの助けを求めるような声を聞いて、なのはは寝付くはやてを起こさないように家をこっそりと抜け出せばそこにあった光景は超常現象不可思議奇々怪界の幻想で。

 デバイス。ジュエルシード――そして、魔法。
 その話を聞いて、手伝ってくれと言われて、“どこかのなにかの物語”たりえるような非日常に片足を突っ込んだ少女が何を思ったか、それは当人にしかわからない。

 とりあえず彼女は荒れ果てた道路を見て慌てて逃げ出しユーノを連れて家路を急いだ。
 玄関を開ければ、誰もが寝静まったはずの我が家から――といってもここには八神はやてと高町なのはしか住んでいないのだが、奇妙な声が聞こえてくる。

「――ぁ――――ぅ――」

 泣いているような、唸っているような。苦しんでいるような、悲しんでいるような。
 よもや、はやてに何かあったのではとなのはが寝室に一目散で駆け出して扉を開ければ。

「いな――なのはちゃ……ううぅ、ぁ――どこ……?」

 そこでなのはが見たものは――車椅子から落ちたのか、床に這い蹲って涙を流しながらガタガタと身体を震わすはやての姿。
 怯えて、怯えて、怯えつくしていた。その怯え方は尋常ならざるもので。例えるなら視界が見えなくなるほどの吹雪が舞う雪山で独り遭難したような、そういった表現がよく当てはまりそうな。

「はやてちゃん、はやてちゃん!」

 なのはが駆け寄ってその震える身体を暖めるように抱きしめながら声を必死にかけ続けた。
 それから何分ほど経過しただろうか。焦点の合っていなかったはやての目が、憑き物を落とすかの如く光が戻って――。

「――どこいってたん? こんな夜中に急にいなくなるなんて」

 そこに“いた”のはいつものはやてだった。さきほどまで震えていた声も別人のように透き通っていて、落ち着いて。
 “それ”を聞いたなのはもまた、必死になって荒げていた声は消え、いつもの通り“何事もなかった”かのように。

「ごめんね、えっと……なんていったらいいのかな……ううん……簡単にいうと――」

 てへへ、となのはがはにかみながら、どこか誇らしげに呟く。

「私、魔法少女になっちゃった」

「……おジャ魔女?」

「どっちかというとプリキュア」

「ああ、ナノハナーみたいな」

「うん。それは完全に敵の名前だね」

 

 ■■■ 『0』

 

 ――意外にも、はやてはなのはが魔法少女になっことをあっさりと信じたようだ。
 「危ないことだけはせんといてな?」と母親が子供に言い聞かせるようなことだけを毎回告げるのを覗けば、寧ろ応援するくらいの勢いだった。

 その後のなのはが辿った出来事を、省略に省略を省略して簡潔にその後のあらすじだけを述べるとしよう。
 傷ついたり、怖かったり、悩んだり、それこそ沢山のことがあった。つまらない思い込みで未然に防げたはずの被害を起こしてしまったり、何のために自分はユーノくんを手伝っているのだろう、と思い悩むこともあった。

 その度になのはははやてに相談して甘えて甘やかして。
 遊んで笑って泣いて怒ってもう一度笑いあって、沢山のことを乗り越えていった。
 なのはと同じ年頃の魔法少女が現れたりもした。名前を聞かせてと叫んだりもした。何度もぶつかり合ったりした。
 時空管理局という存在が介入してきたり、魔法少女の母親が介入してきたり、次元崩壊の危機に直面したり、最後にはフェイトという名前の魔法少女とリボンを交換しあったり。

 ハッピーエンドとはいかなかったかもしれないけれど、必死で頑張って手に入れた1つの未来、そして友達。
 後にPT事件と呼ばれるようになる事件は終了し、なのはとはやてに再びいつもの日常が戻ってきたかに思われた――はやての9歳の誕生日。

「家族が増えたよ!」

「やったねはやてちゃん!」

 守護騎士ヴォルケンリッターと呼ばれる存在が2人の前に現れた。
 話を聞けばはやては『闇の書』と呼ばれる魔導書の主に選ばれた存在であり、はやての望みのままに動く配下が彼女らヴォルケンリッターということらしい。

 最初は騎士達全員が全員堅苦っしく生真面目なものであった。
 だからコミュニケーションを取るのが苦労をしたものだけれど、それでも数ヶ月もすれば徐々に“人間らしさ”も浮かんできて、主君とその家族に対する気高い騎士は“家族”に変わっていっていたのかもしれない。

 

 “そのまま優しいはやての元で幸せな日々を過ごせれば”――という、話ではあったが。

 

 フェイト・テスタロッサが“惨殺死体”で発見されるというニュースを皮切りに。
 第97管理外世界『地球』において、そこにいきとしいけるもの全ての終わりを告げるラグナロクの鐘の音は、悲しげに鳴り響くこととなる。

 

 

 

 

 『だーれだ?』 おわり

 

 

 

 


 ■■■『2/H』

 

 なのはが学校に出かけてから数分後。八神家は静まり返っていた。
 先ほどまで目を輝かしてなのはを弄り倒していた、ベッドに寝そべる少女の姿は、まるで別人のように雰囲気が違う。
 その表情は詰まらなそうに、退屈そうに。その眼は恨むように、妬むように。怒りとも悲しみともつかない禍々しさがそこにはあった。

「――学校なんて、いかんでええのに」

 “約束が違っちゃう”となのはが言っていた。それはなのはの両親である高町士郎と高町桃子との約束。
 その内容をはやては知っているし、若干10歳という少女達に与えられた“自由”に対する交換条件なら軽いものではあるが――。

「“学校は休まない、週に一日は実家で過ごすこと”……」

 その2つさえ守れば、高町なのはは週に6日という時間を八神はやてと共に過ごすことが出来る。
 なのはが学校に通う時間が6時間と過程して、一日換算で一緒にいられる時間は18時間。分数にして1080分、秒数にして64800秒。
 つまり6日で時数108時間、分数にして6480分、秒数にして388800秒――暗算で導き出したその答えに、はやては唇をかみ締めた。

 “たった、それだけしか一緒にいれない”のだと。

 なのはが学校にさえ行かなければ、実家にさえ帰らなければ、24時間一緒にいられるのに。
 一週間で時数168時間、分数10080分、秒数604800秒。時数なら60時間の損。分数なら3600分の損。秒数なら216000秒の損。
 八神はやてにとって、それが如何なる損失か。それがどれほどに多大なる損害か。

 実際は、なのははよく遅刻をしているし、はやてもはやてで病院に通わなければいかない時間などがある。
 そんな様々な差し引きは抜いているが、それでも惜しい、惜しすぎる。なのはと一緒にいられない時間など0.01秒たりともあって欲しくないというのがはやての願いなのだから。

「なのはちゃんを“ひとりぼっち”にしてた癖に――よく“家族面”出来るもんや」

 本当に大事にしているなら、6日間も友達の家とはいえ泊まらせんやろ。
 例えそれが本人の希望だとしても、例えそれが私の懇願だとしても。
 だけど、そのお陰でなのはちゃんに会えて、家族になれたんやけどな。

 そう考えてはやては自嘲気味に笑った。それだけは、あの家族に感謝してもいい。
 しかし他は駄目だ。一切合切認めない。高町士郎も高町桃子も高町恭也も高町美由希も誰も彼も。
 なのはを傷つける者なんて、なのはを傷つけた者なんて、誰一人として許しておくものか。

 だから――はやてはいつか昔に高町士郎から、そして高町桃子からの“誘い”を断った。
 “一緒ニ住マナイカ”という誘い。或いはそれを承諾していればプラス24時間はなのはと一緒にいれたかもしれない。
 けれどその24時間もなのは以外の誰かといることが、その24時間もなのはが自分以外の誰かと過ごすのを“見る”のも我慢出来ない。

 学校もまた同意義。この足が自由に動いて四六時中なのはの傍にいられるなら聖祥大附属小学校に通うのも無くはない。
 だが現実は車椅子生活というこのざまだ。例えば体育だったら見学は決定的、はやてとは違う誰かと準備運動をするなのはを見ることなるなんて気が狂いそう。

 だったら、見ないほうがいい。それくらいだったら、知らない方がいい。
 “殺意”を覚えて“実行”しかねないから。もしもそんなことになれば――なのはに迷惑がかかるから。
 勉学自体は身体障害を理由に通信教育でなんとか出来る。顔も知らないはやての保護者である“あしながおじさん”もそれでいいと言ってくれているし。

 衣食住に十分なお金、そして高町なのはという家族が揃った環境は八神はやてにとって楽園。
 “依存”という関係に浸りきった少女達に残された絶対に失ってはならない桃源郷。

「はやく――帰ってきて、なのはちゃん」

 消えるように呟いて、はやてはなのはの帰りをじっと待つ。
 一秒が何年にも感じられる地獄のような時の巡りを静かに、静かに。

 

 ■■■『1/H』

 

 原因は、肌寒さだった。いつも自分を包み込んでくれていた太陽のような暖かさの消失。
 そんな違和感を感じて、はやては重い目蓋をゆっくり開くと――。

「……ん、ん」

 隣に寝ていたはずのなのはの姿が無い。

「…………」

 いない。いない。どこにもいない。

「…………う、あぁ……」

 身体が静かに震えていく。落ちつけ、落ちつけ。
 ひょっとしたらトイレかなにかで下にいるのかもしれない。
 ここは寝室、二階の部屋だ。“壊れる”のはまだ早い。早計だ、心臓の鼓動を落ち着かせろ。

 そう自分に言い聞かせて、ベッドの横の車椅子に乗ってバリアフリーの階段を下る。
 探した、それこそ草の根わけて、声すらあげて、なのはを探しつくした。

 でもいない。

 いない。

 いない。

 どこにもいない。

 なのはがいない。

 そこから先のことをはやては覚えていない。どうやって寝室に戻ったことすらも。

 だってなのはちゃんがいない。どこにもいない。靴が無かった。この家から出て行った?

 なのはちゃんはどんな特別な用事でも私に話さないで出て行くことはないし置手紙だってないってどういうことなんよ。

 悪い人に攫われたのかなそれだったら逆に安心するんやけどだってそれなら不可抗力やなのはちゃんの意思や無いから。

 せやったら助けださんとでも私のこの足じゃどうにも助けられへんしそもそもなのはちゃんは本当に攫われたのかな。

 ひょっとしたら私に愛想つかせてでていったってことはないよな大丈夫ないないそんなことないにきまってるけど。
 でも本当にないかな私がしらないうちになのはちゃんのこと傷つけてたってことがほんとうにないかなわかんない。
 わたしなのはちゃんのことすきなのになのはちゃんはわたしのことすきじゃないんかなこまったなどうしよう。
 またわたしひとりになってまういややそんなのいややひとりはいややもうこわいこわいなのはちゃんどうしていないの。
 すてないですてないでどこにいるんなのはちゃんあやまらせてかおをみせてなんでそばにいてくれへんのなんで。
 どどうしようこわいよいきができへんなのはちゃんたすけてずっといっしょにわらってごめんねどうしようあいしてる。
 あしたのあさごはんはどうしようなのはちゃんどこやあいつらがまたわたしからなのはちゃんをうばったのかかえせ。

 ――ゃん

 どうしてふたりっきりにしてくれないんよわたしからにどもかぞくをうばうなんてかみさまはどれだけいじわるなんや。

 ――ちゃん

 ごめんなさいあやまるからなのはちゃんをかえしてあまえさせてあまやかさせてきらいきらいなのはちゃんいがいぜんぶきら――。

「はやてちゃん!」

 聞きなれた、それでいて愛しい声が聞こえたような。
 はやてはそこでようやく自分が誰かに抱きしめられていることに気がづいた。
 温かい、人肌と呼ばれる人間特有の体温が齎す安らぎの安心感たるや、“壊れた”はやてを静かに落ち着かせるほどだった。

 はやてのぶれる視界に映りこむのはいまにも泣きそうななのはの姿。
 ああ、またやってしまった――とはやては心が痛む。“なのはがいなくなるとこうなる”のは、他でもなくなのはの為に治さなければならない“びょうき”なのに、と。

 なのはが自分の知らないところでほんの少しいなくなったというだけで。
 なのはがいなくなったのはひょっとしたら自分に愛想をつかしたのかもしれないと考えるだけで。
 はやては地獄に落とされたような気分になってしまう。麻薬に魅入られてしまった廃人の如く、なのはに依存しきった少女の末路はこんな“ざま”だった。

「――どこいってたん? こんな夜中に急にいなくなるなんて」

 “私の傍からいなくなったんじゃなかった”ということを確認できれば、もう怖いことはなにもない。
 もう身体は震えない、声だって擦れないし涙だって出ない。愛しい愛しいなのはがすぐそこにいるのだから。

「ごめんね、えっと……なんていったらいいのかな……ううん……簡単にいうと――」

 てへへ、となのはがはにかみながら、どこか誇らしそうだった。
 もしくは新しいイタズラを覚えたような、楽しそうな微笑だった。

「私、魔法少女になっちゃった」

 なんだ、そんなことか。よかった、そんなことだったら安心できる。
 そんな理由で居なくなっていたのか。ああ、今日も今日とて本当によかった――“なのはちゃんに嫌われてなくて”。

 

 ■■■ 『0/H』

 

「ごめんね、危ないことしないでねってはやてちゃんに言われてたのに怪我して心配かけちゃって……」

「あの子フェイトちゃんっていうんだって。悲しい瞳をしてるんだ、なにがあって戦うのかな」

「なんでそんなにフェイトちゃんに構うのかって? うーん……友達に、なりたいからかな」

「うん、全部終わったよ。フェイトちゃんのお母さんのことは残念だったけど……フェイトちゃんは、プレシアさんの分も頑張らなくちゃと思うんだ」

「フェイトちゃんがビデオレターしてくれるって。にゃはは、世界一遠い文通だね」

 フェイト、フェイト、フェイト、フェイト、フェイトフェイトフェイトフェイト・テスタロッサ。
 なのはちゃんが魔法少女になって人知れず世界を救う手助けをして以来、なのはちゃんの口から出る言葉はそれだった。
 やめて、やめてや……なのはちゃんの口から、私意外のなまえが出るなんて耐えられへんよ……なのはちゃん……。

 なのはが学校にいったので今はこの家ではやて独りきりだ。
 以前はそれに対して憤慨したものの、ここまで落ち込んだ時は数えるほど。
 なのはの“きもち”が“はやて”じゃない誰かに移ろうとしている。それはきっと確かなことで、いつもの“びょうき”から齎されるものではないことくらいはやてはわかっていた。

 どうしよう、このままじゃなのはちゃんが奪われてしまう。盗まれてしまう。どこかに本当にいなくなってしまう。
 ぎりぎりと心臓が締め付けられる。嗚咽がなる、呼吸が苦しい、目の前が揺れる、そもそもいま自分はどこにいるのかすらわからない。
 “なのは”という存在を知ってしまったいま、それから離れてしまえばきっとはやては正真正銘完全に“ぶっ壊れ”るのだろう。

 そうなってしまえば、もう元には戻らない。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 “居なくなってしまえばいいのに”と、どうしても考えてしまう。思ってしまう。

「奪われるくらいなら、なのはちゃんがいなくなるくらいなら、いっそ……ころ――」

 頭を振る。無理だ、そんなことが今の私に出来るはずがない。
 なのはの話を聞けば彼女は魔法使いであり相当な強さを誇っているらしいし、そもそもフェイトは遠いどころか次元すら違う別の世界にいるのだ。足も動かない、普通の人間な私にどうやれば彼女を――。

 

 ここではやてが悩んでいるのが“殺人という禁忌”ではなく“殺人の実行法”という時点で。

 ――もはやはやてに“正常な思考”は残っていなかった。

 

 そんな時に、はやての元に現れた存在の間の悪さ――否、“良さ”は不幸だったのかそれとも逆なのか。
 闇の書と呼ばれる魔導書に選ばれたはやて。彼女が望めばどんなことでも行うと断言する守護騎士呼ばれる存在。
 ああ、何たる行幸か。この者達はフェイト・テスタロッサと同じくして魔法使い。話を聞く限りではとても強力な力を有すらしい。
 だから、命令しようと思った。迷うことなく、あるがままに自分の願いを叶えてくれと。

「フェイト・テスタロッサという少女を――」

 そう口にだそうとして、思いとどまった。殺人に対する禁忌なんて、論理なんて、理論なんてどうでもいい。
 どうでもいいけど――はやての大好きな少女がはやて以外に唯一“友達”と呼ぶ少女が死んだら、なのははどう思うのだろうと考えて。
 はやてはなのはを傷つける存在を何一つ許さないし許せない。なのに、自分がそれを行ってどうする、自分がなのはを悲しませてどうすると。

 奪われることを恐れる少女の持つ最後に残った理性の破片。
 孤独になることに震える少女の全てであるなのはに対しての感情。
 “八神はやて”がこのように壊れた人間性を有しているのはきっと自分しか知らないことなのだ。
 八神はやてはなのはに対して“ずっと一緒にいたい”と思われる対象でなければならないのだ。

「けど……このまま、どうすればいいんよ……」

 わからない。八神はやてにはもうなにもわからない。

 ――それに狂えるほどに思い悩む日々が続き、ついにその時は訪れた。

「はやてちゃん。私、少しづつでも、大人になろうと思うの。フェイトちゃんは一人で頑張ってるのに、私って凄いわがままだったんだな、って思って」

 それが、決め手だった。なのはが“相互依存”という関係に疑問を持つという、世界の終わりに等しき思考。
 “ふたりぼっち”という楽園から羽ばたこうと、自立しようという最高最悪の志。世界が音を立てて崩れ落ち、世界は色素を失った。

「な、なんで……急に……」

「うん……はやてちゃんには、家族が出来たから。本当の、家族。もう、私がいなくなっても独りなんかじゃないから。
 はやてちゃんは、私の大好きな友達だから。このまま私と過ごしてたらきっと駄目になる。もう駄目になってるかもしれない。
 それが嫌だから――私達、変わっていこう? 少しずつ、良いほうに、正しいほうに――大人に、なろ?」

 

「なぁ、シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラ――みんなは、私が望めばなんでもしてくれるって、いってたやんな……?」

 傅く騎士とそれを虚ろな瞳で見下ろす少女という光景は一枚の壁画たりえる美しさすらあったように思える。
 はやての言葉に騎士達は声をそろえて進言する。

「はい、我が主。全ては主の望みのままに我らヴォルケンリッターは剣を振います」

「なら、お願いがあるんよ……“フェイト・テスタロッサ”って女の子をな――」

 

 守護騎士達が次元を超えて跳躍したのを確認すると、ベッドの上ではやては息を引き取るように静かに目を瞑っていた。
 なのはと暮らすようになって、守護騎士達と暮らすようになって、この家で独りになるのは本当に久々のような気がする。

「――誰やろうなぁ」

 誰だったのだろうか。
 八神はやてから高町なのはを本意にせよ不本意にせよ奪うことになったフェイト・テスタロッサが悪い。
 八神はやてをここまで腐らせておいて去ろうとする高町なのはも悪いし、そんななのはから抜け出せない八神はやても悪い。

 けれど、誰だったのだろうか。それでも、誰だったのだろうか。
 こんなことになってしまったのは、こんなざまになってしまったのは、“一番悪かったのは”――。

 いったい、誰だったのだろうか。

「一番悪い子、だーれだ」

 

 ■■■ 『−1』

 

 あの日、私は近くの公園で独り泣いていた。独りで泣くことしか出来なかった。
 お父さんが事故で怪我をして、家族みんなはお父さんのことで、自分のことで、未来のことでいっぱいになってしまって私のことなんて気にする余裕がないことなんて、少しだけ大人になった今の私ならわかる。

 でも、あのときの私はそんなことわからなかった。いってくれなきゃ、お話してくれなきゃわからなかった。
 捨てられたと思って、居場所がなくなったと思って、構って欲しくて泣いていたのに、それでも誰も構ってくれなくて。

 そんなときだったんだよね。はやてちゃんが話しかけてくれたのは。
 嬉しかったなぁ。世界で一人ぼっちだった私に声をかけてくれたのははやてちゃんだけだったから。
 甘えさせてくれるのは、優しくしてくれるのは、私を抱きしめてくれるのは、同じ年頃の女の子だけだったもん。

 そりゃ、好きになるよ。恋狂うほどに愛してしまうよ。
 ふたりっきりの楽園で、閉じこもろうとしてしまうのも、当たり前だよね。

 でも、気付いちゃったんだ。はやてちゃんが本当に“私と一緒にずっといてくれるのか”って。
 もしもはやてちゃんの足が治ってしまったら、ひょっとしたら、はやてちゃんはその足で私から離れていくんじゃないかって。
 はやてちゃんの足が治るのは喜ばしいことだけど、その足で逃げられたら私はきっとはやてちゃんを捕まえられないから。

 はやてちゃんがいなくなったら、私はあの公園で泣き続ける日々に戻ってしまうから。
 だから、鎖が欲しかった。はやてちゃんをずっと私に繋いでおく鎖。最初は“嫉妬”で縛ろうとした。
 けど、弱いの。嫉妬なんて鎖はきっとすぐに断ち切れて、簡単に束縛を解いてしまう。

 だったら他になにがあるかな。そんなことを必死に考えてたら――。
 守護騎士ってプログラムさんがはやてちゃんの元に現れちゃった。
 私以外の存在がはやてちゃんの傍にいるようになっちゃった。まずいと思った、どうにかしなきゃと焦って、ようやくその答えに辿りつけたんだよ。

 “私の為に人殺しという罪を背負わせちゃえばいいんだ”って。
 はやてちゃんはとっても優しくて、とっても純粋な子だって知ってるから。
 きっとその人殺しの罪ははやてちゃんの生涯に纏わりついて、私という存在を永遠に覚えていてくれるから。
 私の為に人を殺すなんて覚悟は、生涯一緒に居て欲しいってくらいの気持ちがないと無理だと思うもん。
 私がはやてちゃんのことを大好きなように、きっとはやてちゃんも私を大好きだから。お互いに依存しきってるから、それくらいわかるんだよ?

 だから、たまたまはやてちゃんに嫉妬して貰うのに丁度いいかなって思ってたフェイトちゃんがいたから。
 フェイトちゃんを“やっちゃうように”誘導しちゃった。思いのほかうまくいって、笑いそうになっちゃった。

 順調、何もかも順調だよ。ふたりだけの楽園に部外者なんていらない。
 わたしたちにわたしたち以外の“かぞく”なんて必要ない。私たちはふたりでいい。ふたりだからこそいいんだもん。

 私って、結構強いみたいなの。魔導師ランクAAAって、少なくて貴重で強力なんだって。
 これくらいの力があれば、シグナムさんもシャマルさんもヴィータちゃんもザフィーラさんも倒せちゃうし、はやてちゃんに何かあっても守れるよ。

 闇の書なんて、いらないよね?

 壊しちゃっても、構わないよね?

 

 大好きな大好きで誇りたいくらい大好きな私の友達。
 愛して愛する壊したいくらいに愛してる私のかぞく。

 だから、はやてちゃん――ずっと、ずっとずっとずーと……。

 

 “私の傍で一緒にいてね?”ワタシヲヒトリボッチニシナイデネ

 

 


 『一番悪い子だーれだ』 おわり


     前の話に戻る      目次に戻る       次の話に進む 


 トップに戻る