「どうしましょうか……これ……」 ちらり、と顔をずらして手紙を見つめる。その手紙はとても可愛らしい絵柄の便箋。 「……本当に、どうしよう……」 くるくると手紙を手の中で器用に回す。
困っていた。それはもう盛大に彼女は困っていた。
『ルーチェ隊長は恋愛でトラブったようです』
ルーチェ・パインダ、12歳。性別は女性、むしろ女性でなければなんだというのか。 触れればか弱い花の如く折れてしまいそうな華奢な体。しかしその外見に反して体は鍛え上げられていているという奇跡。 そんなルーチェではあるが、彼女は誰にも話せない秘密があった。それは“男だった前世”を持っているということ。
――話は変わるが、彼女は“ストロベリー”が嫌いである。 彼女が選ぼうと思えば相手などよりどりみどりである――“男”ならば。 見た目は麗しい少女であったとしても、中身は男の記憶と感情を持っている彼女が“男相手”に恋愛を出来るだろうか? それだというのに彼女の“女”の部分は、ふと見せる男の仕草に心臓を高鳴らせることがあり、その度に吐き気を感じながら自己嫌悪に陥った。 そんなこんなで、彼女はしたくても恋愛が出来なかった。 街中で仲睦まじそうに手を繋ぐカップルが居れば心中で恨み事を呟き続けることなど日常茶飯事。 しかしながら、彼女が色恋沙汰を邪魔すると何故か以前よりカップルの仲が良くなってしまうという愛のキューピッド現象に悩まされるのだが。
と、ここまで説明して、話を彼女の現状に戻すとしよう。 怪しく感じつつも封を開けて中を除いてみると、可愛らしい一枚の便箋が入っていた。 なぜなら、それはラブレターだったのだから。しかも“同性”からの恋文である。内容は以下の通りだ。 『貴女を一目見た瞬間に、貴女以外のことを考えられなくなりました。 ネオン・クライスより』 どこをどう読んでもラブレター。縦読みも斜め読みもない、完全なる恋文。 「……罠、でしょうか?」 ふと、ある可能性が脳を過ぎる。これが罠だとしたらどうだろう。 とそこまで考えて、頭を振った。彼女の魔導士としての力を知っている部下からすればそれがいかなる自殺行為だというのは考えつくことだろう。さらに言ってしまえば、何だかんだで信頼している部下達に、そんな酷いことをするものなどいない、と信じたいのだ。 「行くべきか……行かないべきか……」 もしも行ったとしたらどうなるのだろう、と彼女は真剣に考える。本当にネオン・クライスという女性が待っていたとして。 しかし、行かなかったとしたら、彼女は手紙の文面通り待ち続けるかもしれない。 「……私が夜勤や急な任務が入ったらってことを考えてないですよね」 幸いにも、本日は急ぐ仕事もなければ大変な仕事もない。というか、珍しく定時で帰れる日が今日だ。 ……というか、本当にネオン・クライスとは誰なのだろうか、とルーチェは頭を捻る。 何を始めるにしても、まず情報が足りない。公園で待っているといっても公園には沢山の人で賑わっているかもしれないのだ。 そう考え続けていると、不意にドアからノックの音がした。二度三度叩かれて、その後に『隊長、いますか?』と声が上がる。 「――っ!? え、ええ!」 咄嗟にラブレターをデスクの中に仕舞いこみ、そう答えると『失礼します』との掛け声と共に、1人の青年が入室する。 「先日の事件の報告書が出来上がったので持って来ました」 「ご苦労様です、ティーダ准空尉。では確認させてもらいます」 報告書らしきディスクを片手にやって来たのはティーダ・ランスターだった。 「問題はないようですから、このまま受理します」 「ありがとうございます。ではこれから市内の見回りがあるので、失礼しますね」 「はい――あっ、ちょっといいですか」 「ん? なんでしょう」 部屋を出ようとしていた足を止め、ティーダは振り向く。 「たいしたことではないのですが……貴方はネオン・クライスという人物を知っていますか?」 手紙の送り主、ネオン・クライス。ルーチェはその名前を知らなかったが、顔の広いティーダなら何か知っているかもしれないと思って駄目元でそう尋ねてみる。 「ネオン・クライス――首都防衛隊の救護班の一員ですよ」 「防衛隊の救護班」 優秀な魔導士は海に大量に引き抜かれてるとはいえ、守りの要である首都防衛隊に配属されているとなると、ネオン・クライスはなかなか優秀な人物のようだ。 「年齢や容姿はわかりますか?」 「一度書類を届けに本部にいった時に会話したことがあるだけなんで、詳しい年齢とかは知らないですけど20歳前後ってところじゃないですか。 「20歳前後で眼鏡に赤髪のロングストレート……ふむふむ」 それらの情報があれば間違えることはないだろう。 「彼女がどうかしたんですか?」 さきほどからオウム返しを繰り返すルーチェを不振に思ったのか、ティーダはそう聞き返した。 「……いえ、近々――知り合うことになるかもしれないので」
その後、ルーチェは隊員や知人にネオン・クライスのことを聞いて回って、それなりに彼女の人柄が掴め始めていた。 とある有名な医学校を主席で卒業、その後は管理局に医師として入隊。 ふと時計をみれば、時刻はすでに18時を回っている。隊員は夜勤のものを残しほとんど帰宅。 「――行きますか」 壁にかけた管理局の上着を取り、彼女は隊長室を出る。
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手紙にクラナガンの景色を一望出来ると書かれていたように、確かにその高台に位置する公園から見下ろす光景は壮観だった。 すでに公園に人気はなく、風に揺られるブランコの音がするだけだ。そんな公園のベンチの上に、1人の女性が座っていた。 だが、服装は少し変。いや、ここが“研究室”や“医療室”というなどこもおかしくはないのだが、“白衣”だ。 そして、そんな彼女に近づく人影があった。その人影はゆったりとした面持ちで彼女に近づき、少しだけ上ずった声で――。 「お待たせ、しました」 そう言った。勢いよく顔をあげる白衣の彼女は、その声の持ち主を認識したと同時に朱色に頬を染め上げる。 「ネオン・クライスさん――でしょうか?」 「はっ、はい! ルーチェ隊長……! まさか本当に来ていただけるなんてっ!」 咄嗟に立ち上がり敬礼するネオン。現在はプライベートであり、本来なら敬礼はやらなくていい。 「あうぅ……」 それがよっぽど恥ずかしかったのか、さきほどよりも彼女の綺麗な赤髪よりも、彼女の顔は真っ赤に熟す。 「――それで、お話とは……」 「……そ、その……手紙を拝見していただけたのなら……御察しのことと思いますが……」 まるで恋する乙女のような表情で、ちらちらとルーチェの顔を見るネオン。 (――ああ、やっぱり) ここに来て、ルーチェは確信する。やはり彼女は今日この場所で私に告白するつもりなのだ、と。 ごくっ、とネオンの固唾を呑む音が聞こえた。小さく身体も震えている。 「わ、私……ネオン・クライスは……あ、貴女のことが……好きです!」 きっとその一言に、ネオンは全身全霊の勇気を振り絞ったのだろう。 「――――」 その告白に対する“答え”は、ここに来る前に用意している。 彼女自身、好きと言われるのは嬉しいし、ありがたいとも思う。 それでも――ルーチェは“駄目”だった。付き合う付き合わない以前の問題で――目の前の美人と幸せな関係を築く“未来”すら想像が出来ない。 あるいは、深愛なる友人としてなら共に過ごせる未来もあるだろう。 あるいは、深愛なる同僚としてなら共に過ごせる未来もあるだろう。 けれど――親愛なる恋人として共に過ごす未来は、見出せない。 男としてこの体があったなら、全力で彼女を愛せたかもしれないというのに。女としてこの体がある限り、全力で彼女を愛せない。 だから、ルーチェは断ろうと思った。彼女の思いを断ち切り、踏みにじり――自分への想いなど一時の過ちと、忘れて欲しいが為に。 「ですから――――私と、私と!」 その先は言わなくとも、ルーチェは十二分に承知している。 ネオンの顔はすでに熟した林檎やトマトなど比べようもないほど。体の震えは頂点に達し、おそらくは緊張も同じだろう。
「ごめんなさい、私はまだ幼く貴女の気持ちに答えるこ――――え?」 聞き間違えた? とルーチェは一瞬思った。うん、おかしい。“前提にお付き合いしてください”というのは普通の告白だった。 聞き間違いではない、彼女は確かにそういった。普通そこは“結婚”ではないのだろうか。 だとすれば――言い間違い? いや、もはや言い間違いにおいて他にないだろう。甚だ“結婚”と“解剖”をどう言い間違えるのか疑問だがこの際おいておくべきだ。 「あ、あの……」 思わず言葉に詰まるルーチェ。そんな彼女の様子に何かを察したのか、ネオンは「す、すみません!」と両手をあたふたと振り始めた。 「さ、さっきのは……実は、嘘というか、ジョークというか……」 ――わぉ、Nice joke。 思わずアメリカンテイストな口調で心中に呟くルーチェ。いや、どこらへんがナイスなジョークだったのかはさておき、どうやら先ほどのは彼女なりの医者ジョークだったらしい。 「こ、今度こそ……私の本当の気持ちを……いいますね……」 ごくり、とネオンの、あるいはルーチェの、もしかすれば2人の固唾を呑む音が聞こえて――再びネオンは大声でその本心を解き放つ。
――わぉ、Nice boat。
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ネオン・クライスは、物心ついた時から“自分は変わっている”と理解していた。 “人間は生まれたときから服を着ていない”という言葉がある。しかし彼女はそれを聞く度にこう思うのだ。 『変なの。人間は“皮膚”という“服”を着て生まれてくるのに』 たとえば美麗なアイドルがいたとして、誰かが『あの人は綺麗な顔をしてるよね』と言った。 『あのアイドルはどんな内臓をしているのだろうか。綺麗な内臓だったらファンになってもいいかな、でも食生活とか悪そうだし、色が駄目そうだ』 人間は顔より性格、内面が大事。ネオンはその言葉のまんまを地でいく少女だった。 思ってはいたが、そんな自分を変えることは出来なかったし、変えようともしなかった。 そんな彼女に“医者”という職業はまさに天職だった。何せ合法的に人間の“中”が見れるのだ。 時空管理局に入ったのも、テロリストや犯罪者との戦いで外科手術が必要なくらいの負傷をする局員が多いだろう、と思ってのこと。
しかし――彼女は見てしまった。出会ってしまった。奇跡というほかないほどに美しい“内面”を持つ人物に。
時空管理局員には年に一度、精密検査を受ける義務がある。ルーチェも類に漏れず、数ヶ月前に検査を受けた。 最初は、そのレントゲンの、あるいはX線の、もしくは発達したミッドの科学力で映し出されたカラー写真を見るだけでよかった。 『見たい――見てみたい。実際に、この手で! ルーチェ隊長の“中”が見てみたい! むしろ……欲しい!』 もはや完全に思考が殺人鬼、あるいはサイコ野郎のそれである。
「どんなわけでそうなるんですか!? というかさっきのジョークって“解剖を前提にお付き合いしてください”の“前提にお付き合いしてください”の部分がジョークだったんですか!? そこは一番ジョークにしたら駄目な部分ですよ!?」 「す、すいません。本音をいきなり言ったら引かれるかと……」 「いきなりいわれないでもドン引きですよ!?」 じりじりと迫るネオン。じりじりと離れるルーチェ。 「ルーチェ隊長は初めてですよね、こういうこと……優しく、優しくします!」 「おおよそ大抵の人が初めてですよこんな経験!? そんな優しさいりません!」 「体重が少し軽くなるだけですから!」 「少しじゃないですよね!? 絶対少しの域じゃないですよねそれ!? 死にますから! 内臓取られたら死にますから!」 「私をなんだと思ってるんですか! 内臓の1つや2つなくなったところで死なないように施術できるすべは述べ642通りはあります!」 「別のことに活かしてくださいよそれ!? じ、自分の職業を大声でいってみなさい! この行為がその職業に対してどれだけ冒涜的な所業なのかわかります!」 「内臓を眺めたり切ったりする仕事です!」 「誰かこいつから医師免許を剥奪しろ!」 「ほら! あれですよ! 私に内臓を提供していただければ宴会とかで“内臓が無いぞう”って普段なら軽く流されるギャグもリアリティが出て笑えます!」 「少なくともそんなリアリティのあるギャグで笑いがとれる仲間を持った覚えはありません!」 「あ、ひょっとして手術痕が残ることを心配しているんですか? 大丈夫です! 「くそっ、この世界の医者は変態しかいないんですか!? いや、あっちは人を傷つけないだけ全然いい!」 「私だってルーチェ隊長を傷つけようなんて思ってません! このオペをするには不衛生な状況下において血の一滴も出さず内臓を抜き取ることができますから!」 「なんですかその卓越した殺人能力は!?」 「オヤジはもっとうまく盗むんですけど!」 「貴女の実家は伝説の暗殺一家なんですか!?」 「えへへ、るーちぇたいちょー、るーちぇたいちょー」 「いきなり舌足らずな甘声をだすなああああぁ!」 「るーちぇたいちょー☆」 「語尾に記号をつけるな!」 「ルーチェ隊長! 貴女の全てを愛してます!」 ネオンが腕を勢いよく下げる。白衣の袖から金属音の響きと共に彼女の指の間に出現したのは無数の“手術道具”。 メス。 剪刀。 鑷子。 鉗子。 針。 持針器。 鉤。 開創器。 注射器。 ぞっと一気に顔を青ざめるルーチェは愛機であるアームドデバイス・ロードスターを展開し地面を蹴る。
「助けて次元世界のお巡りさあああああああああぁん!」
彼女達のキャッキャウフフな命賭けの“おっかけっこ”は――翌日の日が昇るまで続くこととなる。
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後日談として、その後の詳細をここに語ろう。 数時間にも及ぶデッドチェイスを目撃した市民から管理局へと連絡が入り、十数名の駆けつけた局員によってネオンは取り押さえられ、現在は留置所で頭を冷やしているらしい。 ルーチェほどの人物が念話も戦うことも忘れて逃げに没頭したほどなのだ。その恐怖たるや筆舌にしがたいほどだろう。
『あ、ヴァンくんほっぺにクリームついてるよ? ……えいっ』 『うわっ!? ちょ、なのは!』
ごぎゃ、と特注の合金製マグカップが捻り曲がった。 「ふ、ふふっ。こっちは……こっちはストロベリーな恋愛どころかホラー映画よりも酷い恐怖体験をしていたというのに……!」 彼女の“眼”に映るのは、地球の高町邸で部下が可愛い少女といちゃつき合う姿だ。 「絶対、絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対! 破局させてやるんだからー!」 げーはっはっはっは、っとどす黒い奇妙な笑い声が隊長室に木霊する。
「今回はそっとしておいてやろうぜ」 「ああ、そうだな。大変だったもんな、隊長……」 それを聞いた隊員達は精一杯の生暖かい目で、隊長室のドアを見守っていた。
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