すると数十メートルほど離れた場所で、何人かの女子高生らしき集団が彼に向かってわいわい騒ぎながら指をさしているではないか。 「……なんだったんだ?」 他人に指を指されるのはいい気がしない。別に笑われているようにも馬鹿にされているようでもない様だが……。 「なんだ、ヴァン。また見られてたのか? 最近多いよな」 その少年に話しかけたのは、同じ制服に身を包むオレンジ色の髪の毛が目につく青年だった。 「ええ……もしかしてティーダさんも?」 「ああ。最初は管理局の制服を着てるからかと思ったんだが……どうも違うみたいだ。 「……俺達、なにかしましたっけ?」 「……してないだろ?」 2人して首を捻るが、一向に心当たりすら思い浮かばない。彼らはいたって普通の管理局員。 たとえばこれが地上の守護神レジアス・ゲイズや空のアイドル、ルーチェ・パインダなら話が違うのだろう。 「まあ考えてても埒があかないし、見回りを続けましょう」 「そうだな」 実際に世間から注目を集める“何か”をやってしまったとなれば上からの注意や指示があるはずだ。
やはりチラチラと視線を感じながらも彼らが歩き続けていると、突如として悲鳴に近い叫び声が耳に届いた。 「この分からず屋!」 「何も理解してないのは貴女の方じゃない!」 「この根暗女!」 「言ったわね引きこもり!」 ぎゃーぎゃーとヒステリックに叫びながらお互いの髪を引っ張り合う女性達という光景に、若干表情を引きずらせながらも、ヴァンとティーダは身を挺して二組の間に割って入る。 「何してんだ! 落ち着け!」 「こんなところで喧嘩なんて止めてください!」 それでも女性達の喧騒は納まらない。むしろ“邪魔しないでよ!”と更にヒートアップさえしそうなほどだ。 そんな中、二組の女性陣の中でも一番酷い争いを繰り広げているそれぞれのリーダー各らしき女性。
「違うわ! 究極のカップリングはヴァン×ユーノよ!」
その呆けたような呟きは、一体誰のものだったのだろう。
『ヴァンは同人誌でトラブったようです』
ヴァン・ツチダ、9歳。性別は男性。男性ではあるのだが、凛々しいとも美しいとも取れる中性的な顔つきは判断に迷うところだろう。 “時空管理局の最終兵器”と称されるに相応しい彼の魔力総量はゆうにSSSランクを軽く超え、彼の為だけに“SSSSランク”の発行すら検討されているとか。 そんな完璧超人にも思える彼ではあるが、彼の過去を悲劇のオペラにすれば一兆人の人間が押し寄せ感涙を流すという不幸な――。
というのは真っ赤な嘘で、ほんの少しだけそういった存在に憧れたり憧れなかったりする平々凡々な容姿をしているのが彼、ヴァン・ツチダだ。 9歳にしては驚きに価する言葉使いや落ち着きを伴っているが、なんのことはない。 彼は“転生者”あるいは“トリッパー”と呼ばれる存在だった。 そんなこんなでこの世界に転生した彼にはいろいろあって、世話になった本来なら“助からない”人達を助けようとその小さい体で奮闘を重ねた。 ある時は次元嵐に巻き込まれ、ある時はSランク魔導師と戦い、ある時はロストロギアと呼ばれるものにも立ち向かった。 圧倒的な力の前に傷つき、絶対的な力の前に何度膝を屈したかわからない。 弱くても、魔力ランクが低くても、凄いレアスキルがなくても、殺す覚悟なんてなくたって。 “原作”という道筋を乖離し続けるこの世界で、泣きながら、意地を張りながら、魂を燃やしながら走り続けるのが――ヴァン・ツチダという男なのである。
「生ヴァン! 生ヴァンだわ!」 「本物よ! 本物だ! やばい、鼻血でそう!」 「って!? こっちはティーダさん!? きゃあああああぁ凄い!」 「写メ! 写メ撮っていいですか!? 出来れば、出来ればお2人には親密に肩を組んでもらって!」
(なんだこれ……なんだこれ!?) そんな男が、引いていた。どうしようもなく、引いていた。見ればティーダもひくひくと頬を引きつらせてのドン引きである。 『この人、ヴァン・ツチダじゃね?』 その瞬間、事前に打ち合わせでもしてたのかというほどに華麗なシンクロで女性達はピタリと喧嘩を止めて――。 いきなり握手を求めてくる意味がわからない。いきなり写メを撮り始める意味がわからない。ティーダと肩を組めと言われる意味がわからない。ティーダと手を繋げと言われる意味がわからない。さっきから聞こえてくる『ヴァン×ティーダは航空隊のクロスミラージュ』ってなんなんだ!? っと。 つーかさっきまで喧嘩してたのにその一体感はなんなんだよ!? っとツッコミたかった。 というか、もう帰りたかった。
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「――同人誌?」 「はい! これです!」 と、ヴァンはリーダー各と思わしき青髪の女性から、鞄の中に入っていた一冊の薄い本を渡される。 なんだかとっても嫌な予感がしたのは気のせいなのだろうか。 「……もう一度確認したいんですけど、“これ”のせいでミッド中の女子を中心とした人達が“俺達”を知っている、と?」 「その通りです! もうブームもブーム、大ブームなんですよ! “管理局本”って私達は呼んでるんですけど!」 ……冗談だろ? そうヴァンは神にも祈る思いで目の前の“管理局本”を見つめる。 それはさながら速効性のウイルスのように人々の脳内を“感染”させ、ブームとして女子を中心に人気が急上昇。 「俺達時空管理局の同人誌ねぇ。ブームになるほど面白いのか?」 ティーダはそんなに流行るほど面白い内容について考える。 「面白いです! もう胸がどきどきしますねぇ!」 そう答えたのはもう1人のリーダー各らしい黄色髪の女性。 原因を理解したティーダだが、こんどは先の喧嘩の理由について問いただす。 「だってあいつがヴァン×プレラが最高のジャンルとかいい張るんですよ!」 そう叫んだ。それに対して青髪の女性もまた怒り顔で反論を重ねる。 「その通りじゃない! 何度も戦って、共に認め合めあっていくライバル同士こそ至福! ヴァン×プレラ至上主義たる私達“ヴァンプレスト”にとっては、いえ、次元世界にとってもそれこそ真理!」 ヴァン×プレラって、ヴァンプレストってなんなんだ!? とティーダは心の中で思った。 「はっ! これだからミーハーは困るのよ。お互いに知らない世界で助け合って、迫り来る難事件に手を取り合って立ち向かうヴァン×ユーノこそが至極というのに……。 ヴァン×ユーノって、ヴァンユーインリョクってなんなんだ!? とヴァンは心の中で思った。 ヴァンの手にある同人誌から発せられる黒々としたオーラがヴァンには見える。 ……少し、少しだけ覗いてみようか? っとヴァンは震える手で同人誌の1ページ目に手をかける。 その可能性に賭けて――ヴァンは魔女の釜の底を覗く。 数ページほどぱらぱらと流し読み。そしてそれを静かに閉じ、青髪の女性に押し付ける。 「うぼぉぇ」 吐いた。 「ヴァンが吐いたー!?」 そう叫んだティーダは「おい、大丈夫か!?」と声をかけながら駆け寄りヴァンの背中を撫でる。 涙を流しながら嘔吐を繰り返す少年と、それを介抱する青年と、その光景を写真に収める女性達という光景は、他の通行人を戸惑わさせるに十分な非常にシュールなものだった。
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その後日、ヴァンやティーダが所属するミッドチルダ首都航空隊・3097隊のオンボロな隊舎の中心で、隊員達が緊迫した雰囲気をあらわに目の前の“本”を見つめていた。 「――これが件の、同人誌ですか」 そう呟いたのは、3097隊の隊長であるルーチェ・パインダだ。 その身体は触れることを許されぬ繊細な究極の飴細工のようで、されどその外見に反して柔らかなる黄金が日本刀の如く鍛え上げられているという奇跡。 そんな彼女の言葉に、3097隊の分隊長であるタタ一等空尉が答える。 「はい。時空管理局の局員を実名と実姿そのままに無断で書かれた本ですね。内容は……まあ、なんといいますか……」 思わず言葉に詰まるタタ。当然だ、その余りにもぶっ飛んだ内容を隊長とはいえ若干12歳の彼女に伝えるには相応の勇気がいることだろう。 「大体は察しています。しかし、本当に大量ですね」 その言葉通り、隊員達の前の普段ブリーフィングなどで使われるほどの巨大な机の上でさえ、同人誌によって占領されてしまった。 「これでもほんの一部だってんですから、一体どれほどの量が市内に流出されているのか見当もつきませんよ」 「……あの、ルーチェ隊長。質問いいでしょうか?」 1人の隊員が手を上げる。それに対してルーチェはなんでしょうか? と発言の許可を促した。 「これが人権侵害や名誉棄損に当たるのはわかるんですが――“管理局総出”で対処に当たるのって、大げさすぎやしませんか? 内容も内容ですけど、それでもたかが同人誌でしょ?」 現在、管理局はこの同人誌に対して、この同人誌を発行している“トリップ屋”に対して上から下へてんてこ舞いだった。 「その“内容”が問題なのですよ」 「と、いうと?」 「この本の中には――明らかに“一般人には知りえない情報”が平然と書かれています」 たとえばそれは第97管理外世界で起きたPT事件と呼ばれるものや闇の書事件と呼ばれるものだった。 あるいは高町なのは、あるいはフェイト・テスタロッサ、あるいは八神はやて。 現段階では“知るはずのない情報”だけではあるが、これほどまでに内部事情に詳しいものがいればいずれは“知れたらまずい情報”が書かれた本が流出しかねない。 それらの説明を受けて、質問を尋ねた隊員は納得したようなしないような微妙な表情で引き下がった。 「――しかし、ヴァン曹長には悪いですけど、私の同人誌は少ないんですね。良かった」 隊舎の片隅で真っ白な灰と化しているヴァンを横目に、ルーチェは自身が書かれた同人誌がほとんどないことに喜んだ。 しかし一割といってもそもそも分母が大きい為に一概に少ないとはいえないのだが。 「でも、隊長の同人誌って数は少ないですけどもの凄い売れ行きらしいですよ?」 「それは聞きたくありませんでした」 「ネットでも同人誌を無断アップロードしてるサイトがあるんですが、隊長の同人誌のダウンロード数、尋常じゃありませんでした」 「それは本当に聞きたくありませんでした!」 「えーと……」 ごそごそと1人の隊員が同人誌の山を手探りで探して、一冊の同人誌をルーチェの前に差し出す。 「これがそうです」 「……『ルーチェ隊長とフルーチェ食べたい』……」 本のタイトルを読み上げるルーチェの表情は若干歪み、怒っていいのか笑っていいのかそれとも泣いていいのかわからない、といった様子だった。 勇気をだしてその本を捲り……少しばかり熟読して、静かに閉じ――。
瞬間、隊舎が倒壊しかねないほどの魔力が雄叫びを上げた。 「ふふっ……あは、あははははははははははははは」 壊れたように目を虚ろにし、可愛らしい口から漏れるのは乾いた笑い。その光景に隊員達の悲鳴が木霊する。 「ルーチェ隊長がキレたー!?」 「う、嘘だろ!? いつもの笑い方じゃないなんて!」 「おいやべえぞ!? 取り押さえろ!」 「これは無理だ!? 誰か! 増援、増援を呼んで来い!」 「首都防衛隊呼べ! ゼスト隊長、いやこうなったら最悪ネオン・クライスでもいい!」 「駄目だ! あの人は刑務所!」 果たして本の内容はいかなるものだったのだろうか。ルーチェを取り巻く怒りのオーラから察するにとてつもないものだったのだろう。 時空管理局ミッドチルダ本局首都航空3097隊は、今日はどうやら平和ではないらしい。
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それから数日後。首都の管理局が所有する広い広いとある会場に、無数の局員達が列を組んでいた。 その隊列を前に、1人の男が悠然と立っていた。彼の名はレジアス・ゲイズ。 「件の類を見ない“テロ行為”は、現在もここミッドチルダを中心に広がり続けている。諸君らの中にも被害を受けた覚えがあることだろう――貴様はどうだ?」 レジアスが最前列の局員に目線を向けると、その局員は俊敏な動きで敬礼をして。 「自分はっ! 普通に接してるだけなのに同人誌のせいでホモ扱いされました!」 と、悲痛な表情を作りながら叫んだ。レジアスもその進言に心を痛ませながら、その横の女性局員に目線をずらす。 「私も同じく! ノーマル、私はノーマルなのに! なんで後輩の頭を撫でただけで『あ、私レズじゃないで……』って軽蔑した目を向けられなきゃならないんですか!?」 その声はきっと心の底から叫ばれたものだったのだろう。涙を堪えるその姿はあまりにも不憫だ。 「俺は友達だと思ってた奴がガチでした! この本さえなければ、ずっと友達でいられたのに……!」 その衝撃の内容を告げる彼は、震えながら一粒の涙を流す。おそらくは例の同人誌をみた彼が『これは酷いな。お前ホモ扱いされてるぜこの本で』とでも口走ってしまったのだろうか。 ごほん、と咳払いをしてレジアスは息を整え、一気に捲くし立てた。 「再三に渡る警告を奴等は無下にし、未だに不愉快極まる『同人誌』の販売及び流出を止めようとはしない! これは我々に対しての“侮辱”であり我々に対しての“反逆”だ!」 腕を振り上げるレジアス。それに伴い局員達の間に充満する熱気が膨れ上がる。 「諸君らはそれを容認できるか!?」 同人誌に本人そのままで描かれるだけならばまだよかった。 「諸君らはそれを黙認できるか!?」 ほんの一部の極地でやっているだけならばまだよかった。 「警告はした! しかし奴等は反省の色を見せるどころか耳を貸そうともしない!」 実在の人物を対象にした同人誌の販売禁止令と製作禁止令、さらに回収すらも政府を通じて下されたのにも関わらず――。 「悪意の産物を生み出す者共の横っ面を殴りつけてやれ!」 人権侵害や名誉棄損、罪状などいくらでもある。そして、そんな言葉で、そんな法律でカバーできる範囲を“これ”はきっと超えていた。 「正義の名の元にこの世に蔓延る同人誌を叩き潰せ! 時空管理局総員――出撃!」 ここに、管理局VS同人誌といった異色の戦いの火蓋が幕をあける。
本部から指揮を執るために移動する道中、レジアスにそう問いかけたのはそれなりに歳を食った初老の男で、階級は佐官といったところか。 「私情でも、入っているのですかな? 話によるとレジアス少将の“本”もかなり描かれているとか――っ!?」 言葉に詰まった佐官。と、同時にその体の奥底から湧き上がる恐怖で身が縮む。 体の振るえが大きく、そして息苦しさすら感じ始めた佐官。
「君は、娘から親友と俺の濡れ場が書かれた本を見せられて『お父様は受けなのですか』といわれた父親の気持ちがわかるか?」
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そこはクラナガンの片隅でほそぼそと営業をしているとある“本屋”だった。 アニメソングらしきBGMを聞きながら、店員はカウンターでその“奇妙”な本を熟読中。 「――いいわー、やっぱり管理局物はトリップ屋が一番よねぇ……なの×はや、もっと増えないかしら」 そんなことを呟きながら、おもむろに缶コーヒーを口に含んで――“ごふっ!?”っと噴出した。
「“とらのなか”突入! 出入り口制圧! クリア!」 「“百合ん百合んの咲く花壇”コーナー制圧! クリア!」 「“こんなに可愛い子が女の子のはずがない”コーナー制圧! クリア!」 「“俺はノンケだって食っちまうコーナー”制圧! クリア!」
まるで映画さながらの光景に、両手を天高く突き上げた店員は頭にハテナマークを無数に浮かべて混乱する。 そんな店員に、1人の局員が礼状を片手に詰め寄って語りかける。 「数度の警告にも関わらず“管理局物”の販売を続けるミッドチルダ全店に対しての強制介入が現時刻より発動されました。
「アネメイト制圧!」 「メロンボックス制圧!」 「まんがだらけ制圧!」 「ゲーマース制圧!」 「ブラックキャンバス制圧!」
「「「回収完了!」」」
作戦開始から実に数時間。これほどの一体感がある作戦がいままで存在しただろうか。 目的はほぼ達成されたといっても過言ではないだろう。
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とある街外れの一帯に、開発計画が中止され、中途半端に作られ破棄された高層ビル群が存在する。 「クロユー班遅れてんぞ! 締め切りまで時間がねぇのに!」 「原稿用紙が切れた! 誰か買って来て!」 「眠い、死ぬほど眠い……」 「寝るな! 寝たら殺す! まだ5ページ真っ白だぞ!」 「無理いいいいいいいいいぃ! もう、もうイラスト集とかでいいじゃないですか! それかネーム状態で入稿させて!」 「んな読者を馬鹿にしたようなこと出来るか! 死ぬ気であげろ! 絶対落とさんぞ!」 「デバイス×デバイスって誰が得するんだ! 擬人化させるならまだしも元のまんまってどうやってストーリー作れと!」 「てめぇAI萌え舐めてんのかぁ!?」 「マルチタスクの使いすぎで脳が焼き焦げる!」 「もっと熱くなれよ!」 「ぎゃあああああぁ!? 原稿にインクこぼしたー!?」 「ホワイトでなんとかしろおおおおおおぉ!」 そこはまさに鉄火場。火種を少しでもいれようものなら即大爆発に繋がるだろう。 全員が目を血ばらせ、その下にくっきりとしたクマを作り、はぁはぁと息を荒げる様はもはや何かに取り付かれているとしか思えない。 「――親愛なる諸君、一旦手を止めて、俺の話を聞け」 ふと、その言葉を発したのは奥の一番大きいデスクに座る一人の青年だった。 「連日の徹夜進行によって、我々は限界の淵に立たされている――あるものは睡眠時間1時間という者、あるものは三徹という者もいるだろう」 徐に立ち上がり、青年は後ろで手を組んで天を仰ぐ。その目に浮かぶクマはまるでメイクのように濃い。 「内容が思い浮かばない者がいる。構図が思い浮かばない者がいる。終わりが思い浮かばない者がいる。きっと思い描いたBLたるBLが描けずに落ち込む者がいれば、きっと思い描いた百合たる百合が描けずに落ち込む者がいる。 その紡ぐように告げられる言葉の一言一言を、その場のすべての人々が静かに聴いた。 「我々はきっと狂っているのだろう。我々はきっと壊れているのだろう。当然だ。狂ってなければ、壊れてなければこの様にはなっていない。睡眠を削り、食事を削り、生活を削り、命すら削り取るなど正気の沙汰じゃない。たかが同人誌にそこまで注ぎ込むことなどきっと誰からの理解もされない。 拳を握り締める青年に答えるように、次々とサークルメンツが立ち上がり雄叫びを上げる。 「諸君、聖女たる諸君らはなんだ!?」 「「「淑女! 淑女! 無垢なる淑女! 思いのままに腐るべくして腐る者!」」」 「諸君、聖男たる諸君らはなんだ!?」 「「「紳士! 紳士! 純粋なる紳士! 心のままに腐るべくして腐る者!」」」 「諸君、我々はなんだ!?」 「「「トリップ屋! トリップ屋! 豪華絢爛たる覇道を往く者共!」」」 「性別さえ超えた愛こそが真理! 理性さえも超えた愛こそが摂理! 本能さえも超えた愛こそがすべて! 我々こそが超越者だ! 真の愛を求めるロマンチストだ!」 「「「万歳! 万歳! 我々のリーダー、ベクトラ・オペル!」」」 「“おう”よ! “ならば”よ! 我々の天運尽きるまで――描け! 心のままに望みのままに! 一心不乱に同人を! 同人たる同人を! 責務を果たせ! 巨大サークルとしての義務を成せ!」 「「「我々の導き手、ベクトラ・オペル! 盟主! 名君! 統領!」」」 あるものはその言葉に感銘を受け、ペンを握った。あるものはその目に涙を溜め、ペンを握った。
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もちろん、彼はレアスキルを持っている。名前はまだつけてない。 ベクトラ・オペルはいわゆる“転生者”だった。前世では売れない同人作家で、巨大トラックに轢かれたと思ったらミッドチルダの一般家庭の1人息子として二度目の人生を体験することとなったのだ。 なにせ、彼はリリカルなのはの同人誌をメインに書いていたくらいなのだから。 親がリンカーコアもない普通の人間の為なのか、あるいはリンカーコアの異常なのか、よくわからなかったが、その変わりに一つだけ屈強な魔導師でさえ持っていない“レアスキル”と呼ばれる稀少技能を彼は使うことが出来た。 座標さえ特定できれば複数だろうが別次元の向こうだろうが“見る”ことの出来る彼は、介入は諦めて大人しく文字通り“見る”ことにした。 この世界の住人になって初めて同じ世界の“住人”である彼女達を黙って覗き見るのは盗撮のようで気が引けたが、見るのはあくまで原作部分の掛け合いや触れ合いだけ。 そうして始まった原作は――彼の知っている“原作”とまったく違うものだった。 彼はここで初めて気づく。『転生者って俺だけじゃないじゃん!?』っとその重大なことに。 自分のものではないことはわかっているが、それでも見ず知らずの他人に土足で自分の家を荒らされたような気分に落ち込んだベクトラはペンを折った。 『――まあ、暇だから“見て”みるか……』 せっかく海鳴の空間座標を調べだしたのだし、そもそもこの為だけに日常で使うことを封じたレアスキルだ。ここで使わなければもったいない。 最初は、ヴァンの弱さに共感を得ていた。前世でみた二次創作では転生者は基本的に強く、無双すら出来るのが大半。 始めはそんな気持ちで“見て”いたベクトラは――いわゆる“無印”が終わる頃には、すっかりヴァンのファンになっていた。 惚れたといっても、別段恋愛感情というわけではない。なにせベクトラは前世でも今世でも男である。いうなれば、“男気に惚れる男”というやつだ。 いや、それだけではない。あまりのヴァンの格好好さに『管理局ってみんなこうなのか?』と疑問に思ったべクトラが原作シーンを覗く以外は使わないという誓いをあっさり覆して他の局員達を覗き見し始めたところそれが実に大当たり。 されど、“原作”には出てこなかった無名の局員の中には、大勢の“ヒーロー”がいた。 『――これは、世に広めるべきじゃないだろうか。管理局員の格好好さを、美しさを』 べクトラは、いつしかそう思うようになっていた。しかしながら、べクトラは前世も今世も男であるといっても、前世で“描いていた”ものは“百合”や“BL”と呼ばれる“同性愛”をメインにしたジャンルだ。 そして、広めるにしてもミッドチルダは同人誌の人気がない、というより“同人”自体の人気がない。 自分が描けるのはBLか百合のみ、それでいい。いや、“それだから”こそいいんじゃないか。 可能な者が存在するとすれば己のみ。ベクトラ・オペルはその瞬間理解した。自分がこの世界に転生した意味を。 その日から、ベクトラ・オペルは同人サークル“トリップ屋”を立ち上げ動き出す。 そして気がつけば――サークル人員は50人を超え、扱うジャンルは100種を超える大規模サークルと変貌し、ミッドチルダに時空管理局同人誌ブームすら巻き起こすほどとなっていた。 この結果に満足はしているが、べクトラは不本意なことが1つある。 流行らせるのは自力で成し遂げたかったというのが本音だった。
以上が、べクトラ・オペルという人間だ。 この世界では時空管理局員やなのは達はアニメのキャラクターとは違って、“肖像権”があることにまったく気づいていなかった。
睡眠不足でふらふらと危なげな足取りで階段を上り、屋上にたどり着いた彼が見たものは――。
このビルを取り囲むように空に舞う数隻の“ヘリ”や“航空艦”から降りてくるおびただしい数の“管理局員”。
頭をぽりぽりと掻いて、コーヒーを一口飲みながらベクトラは最後に一言だけ、ぼそっと呟いた。 「こんなに買いに来られても、まだ新刊できてねぇぞ」
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後日談として、その後の詳細をここに語ろう。 同人ショップなどの“協力”により居場所が判明され、述べ50人以上にも及ぶトリップ屋の人員はその数倍の局員達により一斉検挙。 ちなみに、損害賠償として“数億”クラスの借金を抱えたベクトラに、司法取引という名目で“最高評議会”に纏わる何者かが接触して色々とあったらしいが、すべては秘密裏の出来事である。 ヴァンはデカデカと新聞の一面を飾ったその記事を読んで、今までも様々なトラブルや困難に巻き込まれたが、今回が一番精神的にきつかったなぁとため息をついた。
「フェイトちゃん、その薄い本なに?」 「いまミッドチルダで流行ってる本なんだって。さっき届いたんだ」 「へー……一緒に読ませて貰っていいかな?」 「うん、もちろんだよなのは」 ――どうやらヴァンのトラブルは、もう少しだけ続くようだ。
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