昼休み、昼休みである。
 聖祥大附属小学校、長いので聖小と略すが、とりあえず聖小の昼休みは長い。かなり長い。
 何せ聖小の昼食は給食式ではなくお弁当式だから。4時間目の授業が終了してから5時間目が始まるまで実に猶予は1時間。
 私はアリアさんが毎日作ってくれるお弁当が大好きなので、たっぷりと味わう時間があるのはありがたいけれど、どんなにゆっくり食べても30分でその至福タイムは終了してしまう。

 つまり、何が言いたいかといえば……。

「……暇」

 友達がいない私には、昼休みが有り余るということさ。
 お弁当を畳み、私は机に乗りかかる。机が冷たくて気持ちいいなー、心まで冷えそうだ。

「はぁ」

 ため息はしっかり出てくれるんだよね、この体。
 ちなみに昼休みでなぜ静かなのかといえば、騒がしい場所には大体私の居場所がないからだ。
 教室では仲の良い子達で机を集めて輪を作りお喋りしながら楽しそうに昼食を取っているから、居心地悪すぎて辛い。

 ならば屋上? この学校は珍しく屋上を完全開放しているので、屋上で食べることも可能。
 けど、人気スポットなんだよ屋上。こっちでもやはり仲の良い子達で楽しそうにお喋りながら昼食を取っているから、居心地がとても悪くて辛い。

 図書館とかは飲食禁止だし、トイレで食べるという人達も世の中には存在するらしいけど私はゴメンだ。
 じゃあお前どこで食べてるの? という問に答えるならば、一言。

 理科準備室である。

 結構穴場なんだよねー、準備室って。
 用務員さんと理科の先生が掃除を頑張っているのか、ホコリ一つないから不衛生でもないし。
 それに準備室というのは暗いイメージがあるかもしれないけど、曇りガラスから意外と光が入ってくれるので結構明るい。
 キャッキャウフウフな羨ましい話し声も聞こえてこないし、まさに私だけの固有空間だ。時々死ぬほど切なくなるけど。

「……どう思う」

 私はこの理科準備室の主である人体模型の“つとむくん”にそう問いかけた。
 つよむくんはいつも無口で(当たり前だけど)私の悩みやボヤキを静かに聞いてくれる有り難い存在なのだ。まあいつも通りに“知らんがな”とつとむくんに返された気がして会話モドキは終了するが。

 しかし、いつまでもこのままじゃいけないよね。
 アリアさんにも心配かけちゃってるし、友達の1人や2人、作らないと。それがどのようなミッショインポッシブルであろうとも、だ。

「私、頑張る」

 頑張れー、と。再びつとむくんに返された気がした。

 

 ■■■

 

 うん、やっぱ無理。まず話しかける事自体、無理だ。
 放課後、今日こそは友達を作ろうと意気込んだのはいいものの見事に頓挫してとぼとぼと帰宅する道のりを歩む私。
 そもそも私と向かい合った子って全員が全員、ダッシュで避けていくからね。私はモーゼか。やはり私が友達を作るには“あの事件”の誤解を解かないことには始まらないのだろう。私がクラスで危険視される羽目になってしまった、あの……通称“ヘアバンド喝上げ事件”を。

 あれが起きたのは、この学校に入学したての頃の話……今から丁度三ヶ月前。
 突如誰かの泣き声とヒステリーな叫び声が教室内に響き渡ったのだ。

「う、うう……か、返して……」

「あーもう! いちいち泣くなあんたは!」

 ヘアバンドを取り上げられて泣いているのが、月村すずか。
 ヘアバンドを取り上げて怒っているのが、アリサ・バニングス。
 2人は両者共々容姿端麗でとても目立つ存在だったから、クラスの全員がその喧騒に注目したものだ。
 なぜ2人がそんなことになっていたのか今も尚、その経緯は定かではない(私は友達が居ない為に人づてに真相を聞くということが不可能だから)が、多分月村さんのヘアバンドを見せて欲しかったバニングスさんが、ちょっと強引に行ってしまったところ怯えた月村さんが泣き出して、それに対しバニングスさんが憤怒したのだろう。なぜそんな小さなことで泣くのだ、と。

 月村さんは気の弱い子でいつもおどおどしていて、バニングスさんは強気な子でいつもツンツンしていた。
 月村さんはそんなバニングスさんが怖くて、バニングスさんはそんな臆病な月村さんに腹が立ったのだろう。別段、互いに嫌っているわけでもないのだろうが、互いが互いを知らぬままに、外側だけで人を判断して相対しても、とくに子供なら尚更のこと喧嘩になるだけだ。

 その一方的な喧嘩を見守るクラスメイトは、どうすればいいか悩むばかりで動こうとしない。
 そりゃ6歳や5歳のついこの間までは幼稚園児だった子達である。喧嘩をしたことがあっても喧嘩の仲裁などやり方すらわからないのは当然だ。

 そこで私は思った。“この喧嘩を仲裁出来たら2人と友達になれるんじゃね? というかクラスの皆と打ち解けられるんじゃね?”と。
 幼稚園児だった頃はまだ家族を失くした精神的ダメージが回復せず、常に下を向いて生活していたような有様で、立ち直ったのは幼稚園を卒業する寸前だった。
 今と同じくしてこのままじゃやばい、小学生になったら絶対に友達作ろうと必死だった私はその千載一遇のチャンスに全てを賭けて行動したのだ。

 

 身の程を知らずに。

 

 私は勇気を出して2人の前に立ちはだかった。

「えぐっ、えぐ……ふぇ?」

「だから泣くなって! ……え、な、なによ?」

 突如と現れた無表情な女の子に、多分2人は相当驚いただろう。
 とにかく私は間違いを諭そうとバニングスさんにビンタを放った。ッパーン! とそんな音が鳴り響くほど強めで叩いてしまったのは実に誤算だった。やっべ、と思ったのもつかの間。雪崩込むように“誤算”のスパイラルが私を襲う。
 頬を叩かれたことなど初めての経験なのだろう、何が起きたかわからずに呆けるバニングスさんに『痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は! もっともっと痛いんだよ!』と諭そうと思ったのだが……。

「……痛い? ――もっと痛いよ」

 全く言えなかった。ぶつ切りにしか言葉が出ないなんてレベルじゃない。もうどういう意味なのかすらわからん。ドSか私は。

「……はっ? は、ああああぁ!?」

 バニングスさんが激昂するのも無理は無い。もしも同じ事をされて、同じ事を言われたら私ですらキレる自身がある。
 負のスパイラルは続く。キレてしまったバニングスさんを見て、私は、なんというか……ビビっちゃったのだ。かなり痛かったのか、赤く染まった頬を押さえて涙目を浮かべるバニングスさんの睨みつけるような瞳はかなり鋭く、そして怖く、周囲から感じるクラスメイトの「何してんだこいつ」という冷めるような視線、月村さんの怯えきった目線のコラボレーションに私は極限までテンパってしまい、喧嘩を仲裁しにいったにも関わらずまったく出来なかった“失敗”という結果に頭がこんがらがってもはやどうすることも出来ず、何故か乾いた笑いが浮かびあがってしまって――。

 

「あは――あははははははははははははは

 

 と、悪魔染みた笑い声を上げてあげてしまったのだ。
 さながら勇者と相対する魔王の如く、敵討ちを成し遂げた復讐者の如く、ほの暗い水の底から聞こえてくるような笑い声。ちなみにこの笑い方、あとで再現してみようと思っても不可能だった。何故かこの時“だけ”偶然出来てしまった。

 そして、それを目撃したほぼ全てのクラスメイト達は全員ものの見事に――。

 

 引いていた。

 

 ドン引きだった。

 

 それ以来、高町なのははやばい子という風潮が広まってしまって私に近寄る存在は居ない。
 目があっても逸らされる。私に対する不可侵協定がクラス全員の間で結ばれているだろう、きっと。触らぬ神に祟りなし、臭いものにはフタをしろ――高町なのはに関わる無かれ。

「……はぁ」

 自業自得とはいえ、なんともやるせない話。
 一応は、善意で行ったつもりなのだけれども、その行為は必ず実を結ぶとは限らない。
 誰も彼もが善意や好意を喜んで受け入れるわけじゃないのが人間関係の難しい所だ。私だって、アリアさんの優しさを受け入れられるようになるまで長い時間をかけていたしね。

「ガンバ、私」

 ――頑張ろう。心を閉ざした私が真摯に介護してくれたアリアさんによって立ち直れたように。
 私だって真摯に求め続ければ、友達の1人は出来るはず――と、そんなことを考えていた時だった。

 

 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。

 

 ふと聞こえてきた踏切の警報音。
 いつの間にやら目の前にはあったのは安全バーが降りていく電車の踏切。
 点灯と消灯を規則的に繰り返す赤と赤の信号機……ちょっと考えこみ過ぎちゃってたかな、前に踏切があることに全く気づかなかったよ。

 危ないところだったな。
 警報機が鳴らなかったそのまま路線を渡ってしまっていたかもしれない。

 

 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。

 

 交通事故には、気をつけないと。なんせ私の家族がお星様と相成った理由なのだから。
 他人ごとでしか見たことのないような交通事故という現象は、割かし高い確率で存在している。
 明日は我が身ぞ、怯えて暮らせ。なんていうつもりはないけれど――頭の隅にでも置いておいて欲しい。死に至る事故とは、思った以上に身近にあるってことを。

 

 カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン――。

 

 ……電車、来ないな。結構待っている気がするんだけど。
 こんなに長いものだったっけ、踏切待ちって。普段待つことなんてあんまり無いから、度合いがわからないや。

 

 ……あれ。

 

 というか。

 

 そもそも。

 

 この通学路。

 

 ――踏切ってあったっけ。

 

 にゃー、と笑いながら私の隣を3つ首の犬が横切った。

 

 ……?。

 

 羽ばたいてやって来た1つ目のカラスが遮断機の上に乗りかかり、白い羽を長い舌で身づくろう。

 

 ……??。

 

 遮断機の下を見つめれば、魚みたいな顔をした彼岸花が咲いていた。

 

 ?

 

 ????????????????????????????。

 

 何かがおかしいような気がするが、何がおかしいのかわからない。
 ただどうしようもない平坦とした町並みに対する違和感。黒色の絵の具で白色のキャンパスを塗りつぶして、今度は白色で再び塗りたくるような……そんな、違和感。

「……あ」

 今の今まで気づかなかったが、踏切の向こう側に誰かが立っていた。
 丁度、私と同い年くらいの女の子。茶髪のショートカットで、赤色のリボンで一部の髪の毛を纏めている。
 美麗、というよりは可愛いというような整った顔に嵌めこまれた蒼穹のような青い2つの瞳が、やけに印象に残って。

「――――」

 もぐもぐと何かを頬張る彼女。彼女の右手を見れば、半分ほどに身を削ったホットドック。
 どうやら、あれを食べているようだ……でも、あれは本当にホットドックなのだろうか。パンに挟まれているのは確かにお肉ではあるが、あれはきっとソーセージではない。なぜかはわからないけど、断言出来る。

 多分、あれ。

 絶対に食べちゃいけない部類の、何かだ。

「……渡らんの? 踏切、もう上がっとるで」

 彼女の言葉通り、いつの間にか警告音は終わって遮断機は上がっていた。
 電車は通っていない気もするけれど、遮断機が上がっているということは渡っていいということだ。

 私はおぼつかない足取りで、ふらふらと揺れながら踏切を渡ろうと歩き始める。
 青い瞳の彼女が、それを楽しそうにホットドックを頬張りながらじっと見つめていた。見つめ合うように、私もただ彼女を見つめて。

 ……何故だろうか。彼女を見かけたのは今が始めてのはずなのに。
 ……何故だろうか。ずっと前から、知り合いだったような気がする。

 彼女の名前はなんというのだろう。
 この踏切を渡ったら、まず始めに彼女の名前を聞こう。名前を聞いて、それから、それから――。

 

 


「危ない! 何してるの!? 今、赤信号でしょ!」

 

 


 そんな怒声と共に、肩を引っ張られた。

「…………あ、れ」

 いつもの町並み、いつもの景色が私の目に映り込む。違和感なんて何もない、平坦平凡な海鳴の慣れ親しんだ土地。
 目の前には赤信号が点灯して車が右往左往する横断歩道――ボケっとしてて気づかなかったけど、どうやら私は赤信号の横断歩道を渡りそうになっていたらしい。

「もう、なの――あなた、ボーっとして道路を歩いちゃ、危ないじゃない」

 ……ボケっとしてたのは覚えいるけれど、なんで私はボケっとしてたんだったかな。
 とにかく、私を助けてくれたことのお礼を言わなければ。
 
「……ありがとう」

 そんな言葉と共に頭を下げて、感謝を告げる。おお、今回は完璧に声を出せた。
 頭を上げてそこでようやく、助けてくれた人物の顔を把握する。丸いメガネに、長いおさげ。そして竹刀袋を携えた美人の女子高生だった。
 
「これからはしっかり気をつけてね」

 うん、気をつけよう。私まで事故で死んだりしたら家族に顔向け出来ないよ。
 しかしこの美人のお姉さん、見ず知らずの子を誠意に注意出来るなんて、きっと良い人に違いない。
 私はもう一度だけ頭を下げて、アリアさんが待っているであろう我が家に向けて足を運ぶ。今日も今日とて友達は出来なかったが、良い人に会えたこと、そしてそんな良い人に助けられたことをアリアさんに伝えよう。

 ……横断歩道を渡り、ふと背後を振り向くと美人のお姉さんは未だにそこにいた。
 そこにいて、私を見ていた。私を見つめるその瞳に、どこか切なげな雰囲気を感じるのは、きっと私の気のせいなのだろう。だってお姉さんと会ったのは始めてだし、注意して注意されたという、そんな一期一会の間柄でしかないのだから。

 

 


「やっぱり、覚えてないか――なのはちゃん」

 

 

 そんな風に乗って聞こえてきた呟きもまた、気のせいか。

     前の話に戻る      目次に戻る       次の話に進む 


 トップに戻る