はやてに植え付けられた『はやて家スプラッタ事件』。その事件において骨とともに折れかけたなのはの心。
 されど不屈の闘志は砕けなかった。諦めず、考えうる限りの闇の書の起動方法を試した続けた。けれどその全てが失敗。
 失敗、入院、失敗、入院、失敗、入院を繰り返しの数ヶ月――すでに年が変わり、それから三ヶ月余りの時が過ぎていた。

(まずいまずいまずい――ユーノくんが来るまで一ヶ月切っちゃったよー! 結局ヴィータちゃん達を起こせなかったし……これはもう終わったかも……うううう……)

 自分の身体である。いくら魔力が多かろうがこの軟弱な身体では戦うなど到底無理な話だということは嫌でも理解していた。
 清潔なシーツの敷かれた病室のベッドの上で、もはや何千回繰り返した自問自答を続ける。

 得たものといえばはやてのトラウマがここ数ヶ月で異常に増えたことと、身体の負担。いつのまにか個室になった病室。
 それに加えさらに最悪なことに――。

「なのはちゃん健診の時間ですよ。お熱を計りましょう。痛いところはないかな? 眩暈とかしない? 具合は大丈夫?」

 そういってなのはの元に現れたのは、白衣に身を包んだ、何故か『猫耳』の生えているお姉さん。

「あ……は、はい。大丈夫で、す……“アリア”先生……」

 なのはの親友、八神はやてを闇の書ごと封印するという計画を企むギル・グレアムの使い魔――リーゼ・アリアが、そこにいた。

 

 


(ま、まさかこんな方法で監視されるとは思わなかった……)

 八神家で何度も魔力を放出すれば、当然そうなる可能性も考慮に入れていたが……。
 まさかここまで露骨に、看護士として潜入し、実家よりも滞在期間が長い病院で『監視』されるとは思いもよらない。

(というか……アリアさんどうやって医師免許とかクリアしたの!? しかも猫耳だしっぱなしっておかしいよね!?
 なんで皆疑問に思わないの!? アリサちゃんですら「可愛いアクセサリーよねあれ」って言っちゃう始末だし! そんな部分的な認識阻害系の魔法なんてあったかなぁ……)

 窓の外に浮かぶ綺麗な青空を見る。それはとても遠い目だった。まだ腐った魚の方が綺麗な目をしているだろう。
 腋に入れた体温計のアラームが鳴った。36度、平熱である。

「ん〜。熱はないみたいだけど……やっぱり顔色が優れないわね。何か思いつめてたりする?
 悩み事があるならお姉さんになんでも相談してね。実は魔法使いだったんですとか言われてもちゃんと信じてあげるから」

(サラッとカマをかけてくる貴女が原因の1つですなんて言えないよね……ああ、もう全部暴露しちゃおうかな……頭のおかしい子だと思われるだろうけどそうすれば楽になれ……)

 「はっ!?」っと一瞬、諦めかけたがすぐに思い返し、なのはは「にゃはは、なんでもないです先生」と乾いた笑いで返した。

 アリアは「そう、じゃあ今日の健診はこれで終わり、またねなのはちゃん」とカルテをまとめ、部屋から出て行く。ドアを閉める瞬間、「ちっ」と舌打ちが聞こえた気がしたが、なのはは幻聴だと気にしないことにした。

(……最近、すぐに心が折れそうになっちゃったなぁ……ふふ、身体は精神に影響を与えるっていうけど本当かもね……はぁ)

 部屋にはアリアの仕掛けた『サーチャー』が置いてあるので下手な独り言もいえず、心の中で溜息をつく少女。
 身も心もボロボロ、見てるほうが痛々しい気持ちになるほどこの少女は焦燥していた。誰にも助けを求められず、自分でどうにかすることも出来ない。度重なる失敗により肉体的にも精神的にも限界だった。

 枕の横に置いてある本に手を伸ばす。それは実家から持ってきて貰った数々の本の中にあった一冊。
 Celaeno Fragments≠ニラクガキされた、どの言語にも通じない文が記された謎の本。

(……なんか、これを見てると落ち着くの。なんでかなぁ……全然読めないのに)

 一枚ずつ、ゆっくりとページを捲っていく。血のように赤い文。深淵のように黒い紙。
 不気味なはずなのに、何故かなのははこの本を捲る度になんとも言えない『安らぎ』に似た気持ちが溢れてくる。

「…………あれ?」

 ぴたり、とページを捲り続けていたなのはの手が止まる。なのはの目に映っているはやはり理解できない文字の羅列。
 しかし、ただ一箇所だけ、どことなく、なんとなく――。

(……読める? えっと……そ、そとな――外なる、か……かみ? あざ……とお、す……ああ! わかった、外なる神アザト)

 

 バ ン

 

「っ!?」

 音がした。それは何かが叩かれたようなもので。発信源を探る、方向はおそらく窓の方からだったような。
 窓を凝視する。だがそこには何もない。あるのはガラス越しに映る透き通るような青空。

(……気のせい、だよね。続き続きっと……)

 再び本に集中する。何故だが分からないが、一文だけ読めたのだ。頑張ればもう少し読めるかもしれない。
 そう思い、なのはは再び先ほどの場所を探す。

(外なる神、アザトース……? 神様の、名前? この本、聖書とかそんな感じの本なの? 神様の名前が出てくるくらいだし……)

 そのページで読めたのはその場所だけだった。次のページを捲る。そこにも、再び『読める文字』。

(これは……ローマ字? 英語かな。c・r・a・w・l・i・n・g・c・h・a・o・s……crawling chaos? うん? 横に訳っぽいのが書いてある……のかな? は、はいよる――こ、こんと、ん。這い寄る、混沌。――這い寄る混沌? にゃ、ないあるら、と……ほてっ)

 

 バ ン バ ン

 

 今度は、すかさず窓を見た。一瞬、それこそ刹那のような時間だったが、なのはは確かに見た。瞬時に消えてしまったが、そこには黒い影≠。

(――鳥、鳥! 鳥だよね! ここ病院の五階だよ? 鳥以外の影が映るなんて、ありえないよね! ベランダもないし!)

 自分にそう言い聞かせ、背筋に冷たいものを感じながら、再び本に目をやった瞬間――。

 

 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン

 

 カタカタと小刻みになのはの身体が震える。今度は本から視線を外さない。気のせいだ、気のせいだ、気のせいだと心の中で呟き続ける。

 


 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン 、 バ ン バ ン――――

 

 音が消えた。もうあの音は聞こえない。先ほどから息をするのを忘れていたようで、盛大に息を吐き、大きく吸った。

(……あ、あはは……と、鳥さんも驚かすのが上手いよね。巣でも作ってるのかな?)

 高鳴った心臓が徐々に落ち着いていくのを確認し、気が滅入ったので今日はもう本を読むのを止めようと、パタンと閉












 

 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
  バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン
 バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン バン

 









 

 

 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンッ!

 

 今度こそ、息が止まった。汗が止まらない。身体の震えが止まらない。窓の方を向いてはいけない。見るな見るな見るな見るな見るな見るな。
 それでも、まるで、身体が操り人形になったように、鉄が軋みをあげるように、首が窓の方向に動いていく。

(駄目だ……よ。見ちゃ、駄目。お願い、止まって、誰か、私を、止め)

 いまだに叩きつける音は続いている。まず角の窓枠だけが目に入った。揺れている。今度は逃げる気はないらしい。
 そして、ついに、なのはの目に、映ったものは――。

「ごめん! ペンを忘れちゃった!」

 病室のドアが開いて、そんな大声を上げながら入って来たのはアリアだった。操り糸が切れたように、なのはの身体は自由になる。
 なのはは窓を見た。そこには先ほどと何もかわらない綺麗な青空。


(――今ノハ、一体、何ダッタンダロウ――)


 ひゅー、ひゅーと過呼吸に似た呼吸音、異常なまでの汗、青ざめた虚ろの表情をしたなのはを見て、アリアはその異常に気がつく。

「……なのはちゃん……? なのはちゃん! なのはちゃん、しっかりして!」

 ベッドに備え付けられているナースコールをアリアはすかさず押して、なのはの頬を叩き意識を確かめた。

「なのはちゃん! 大丈夫!? 聞こえる!?」

「っ! はっ! ごほっ……――せっ、先っ、生――」

「落ち着いて、呼吸を整えて! 喋らなくていいから!」

 目の焦点が合っていない。ペンを忘れてから取りに戻ってから数分と立っていないのに、一体なにがあったのだとアリアは現状を理解しかねていた。本物の医者ではないので、医学的なことは判断できないが、ただ事ではないなにかが起きたのだとそれだけはわかっている。

 

「せん、せい――」

「なに? なのはちゃん……」

 少しだけまともな呼吸を始め、目の焦点も戻ってきたなのはを見て安堵するアリア。そんなアリアに、なのはは必死に声を出して聞いた。

「お、音……何かを叩くような、音、聞こえ……ません、でした……か……?」

「――音? 別に、聞こえなかったわよ。普段通り静かで、寝ちゃったのかと思ったくらいだし」

「…………そう、ですか……」

 それを聞いたなのはは、崩れるように、気を失った。

 

 


 ジュエルシードが落ちてくるまで、あと少し。だがその前に――もう1つの運命が、周り始めた。

 

 ■■■

 

 あれから数日後。あの不可解な現象は二度と起きる事はなかった。本当はあの出来事は夢だったと思えるほど、何も無い。
 しかしあれ以来、あまりの恐怖になのはは母親の桃子やアリアに付き添って貰わなければ1人で寝つくことが出来なくなっていたが。

 だがそれと同時に、もう1つ不可解な出来事がなのはの体に起きていた。
 それは――。

(……体が、軽い)

 なぜか、病弱を超えた弱さを誇るなのはの体が、少しだけ丈夫になっていたということだ。

 

 


 八神はやては不安だった。それはもう趣味の読書がまったく頭に入ってこないほどに。
 その不安の原因は、ここ数ヶ月に続くなのはの異変。

 親友である高町なのはのギャグのような弱小さは今に始まったことではない。
 骨を折ることなど日常茶飯事。吐血することだって何度も目にした。
 高町なのはの最弱伝説を友達となったその日から経験していれば、自然と大抵のことでは驚かなくなるほどに。
 当然、怪我をすればとてもいまでも心配するし可哀想にも思うけれど。

(――でも、最近のなのはちゃんは……)

 最近の高町なのはは、あまりにも“病弱”すぎた。
 いままで見たことも無いほどのペースで吐血と骨折の繰り返し。それ以上吐ける血と折れる骨があるのかと思わずにはいられない量だ。
 医者に何度も念入りに検査して貰った。はやても立ち会ってその診断を見守っていた。しかし、その結果は常に“原因不明”だ。前からもそうであったが、高町なのはが病弱な理由は現在の医学では説明出来ないらしい。

 それは、自分の動かない“足”と同じで――。
 治す術がない病気。治る見込みのない病気。考えたくなかった、最悪の事態をはやては思ってしまう。それは、なのはの病気が悪化しているのではないかということ。

(なのは、ちゃん……っ……な、の……は……ちゃ…………)

 ぽた、っとはやての瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
 はやては信じていた。きっと近い将来に医学が進歩して、私の足もなのはちゃんの病弱もきっと治るのだと。
 そして、治った暁には2人で元気いっぱいに普通の子のように外を走り回れるのだと。

 でも――現実は医学が進歩する前に、なのはが先に死んでしまうかもしれない。
 私だけを残して、なのはちゃんが消えてしまうかもしれない。

 そう考えただけで、はやては涙が止まらなかった。
 そう考えただけで、心が見えない刃で切り裂かれるようだった。

 ふとはやては思いだす。高町なのはと最初に出会ったときのこと。
 それは足が動かなくなり、1人寂しく車椅子に乗って病院の窓の外を見つめていた。
 両親が居ない、仲良しの友達もいなかった孤独の中――そんなときに同じ病院に通院していたなのはが、話しかけてくれたことを。

 

『――あなた、足が動かないの?』

『……そうなんよ。“げんいんふめい”なんやって……あはは……ほんまに困ってまうわ……』

『そっか……私と同じだね』

『……?』

『私ね、凄く怪我をしやすいの。骨とかがね、よく折れちゃうの。でも、その理由は“げんいんふめい”なんだって』

『……そうなんや……なんや、私だけやなかったんやな……えへへ……あっ!?』

『うん? どうしたの?』

『ごめん、ごめんな……いま、喜んでしもた……私だけやなかったって、辛いのは私1人やなかったんや、一緒な子もいるんやって……! 辛い、やろうに……ごめん……ごめん、なさい……ごっ、う、うっ……ごめんなさい……!』

『――泣かないで、大丈夫、大丈夫だよ。私は気にしてないから…………ねえ、私は高町なのは』
 
『――え?』

『私は高町なのはっていうんだ。あなたの名前を教えて欲しいな。』

『八神、はやて……』

『そっか! はやてちゃんか! ……ねえはやてちゃん、友達になろうよ! そして“約束”しよう!』

『友達になるのはええけど……約束?』

『そう、約束! いつか、私たちの病気が治って、元気よく遊べるようになったら……一番最初に、一緒に遊ぼう!』

『一緒に……?』

『うん! そうだ、約束するときは指切りしなきゃ! さ、指を出して!』

『うわ、ちょ……』

『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます! 指きった!』

『……ご、強引やよなのはちゃん……』

『強引でもいいの! 約束したよ! 体が治ったら一番最初に一緒に遊ぶって! 嘘ついたら針千本なの!』

『でもなのはちゃん、1人だけ先に治ったらどうするん? もう1人が治るまで誰とも遊べんくなるで?』

『あ……え、えっと……治る! 2人同時にきっと治るもん!』

『……あはは、あはははは! おもろい、なのはちゃんおもろいわ!』

『そ、そっかな……にゃははは……』

 

 それは遠い日の記憶。いまでも幼い2人がさらに幼かったときのこと。
 強引だったけれど、その約束が八神はやてにとってどれほど嬉しいものだったか。どれほど頼もしいもので、どれほど希望を与えられたのか。

 その高町なのはという存在が、どれほど温かかったか。“愛”をくれたなのはが、はやてにとってどれほど――。

「……嘘、ついたら……針千本飲むって……いうたやん……!」

 神様――どうかなのはちゃんを、私の友達を助けてください。
 私に出来ることがあったらなんでもします、どうか、どうか……。

 そう、信じてもいない神様に八神はやては願った。
 なのはが治りますように。なのはがはやての傍から消えてしまいませんように。
 助けて、助けて、助けて、助けて、私の友達を、助けて――。

 それはただの祈りに過ぎなかった。祈ることしか出来ない少女のただ1つの方法だった。
 けれど――八神はやては“単なる”少女ではない。圧倒的な“魔力”を持つ、“闇の書”に選ばれるほどの少女。

 そんな少女が、祈ってしまった。

 

 “神様”に、そう願ってしまった。

 

 “闇”さえ及ばぬ深淵が――覗いていることも知らずに。

 

 ■■■

 

 一方その頃の高町なのはである。

「ぜぇ、ぜぇ……見て! 見てアリサちゃんにすずかちゃん! こほっ、ふぅー、ふぅー! 私走れてる! 走れてるよ!」

「なのはあああああぁ!? わかった、走れるのはわかったからそれ以上走るのはやめてええええぇ!」

「なのはちゃん止まって! 止まってええええええぇ!」

 何故か少しだけ丈夫になった体に感激し、外を元気に走り回っていた。
 その後ろを必死の形相で追いかけるのはアリサとすずか。確かに愛すべき友人が走り回れるようになったのはとても喜ばしいことだ。
 しかし、目に余るほどなのはは調子に乗っていた。これはまずい。走れるようになったとはいえ、なのはの紙のような丈夫さでは絶対に走ってはいけないことを、2人は嫌というほど知っているのだから。

「はぁー、はぁー! あはははは! ランナーズハイってこんなに気持ちよかったっけ!? 地面を走れるのって、素晴らしい!」

「調子に乗るなああああああぁ!」

「折れる、絶対に折れるからなのはちゃあああああああん!?」

「いやっほー!」

 

 運命の輪が回り始めるまで――あと少し。


     前の話に戻る      目次に戻る       次の話に進む 


 トップに戻る