暗い森の中、1人の少年と黒い靄の様な何かが対峙する。
 少年が手を翳し、浮かび上がったのは魔法陣。それを黒い霧にぶつけようとするが、黒い霧は咄嗟に身を引きそのまま姿を消した。
 黒い霧を取り逃がしてしまった少年は力尽き、その場に崩れ落ちると最後の力を振り絞り念話を飛ばす。

 『誰か……僕の声を聞いて……力を貸して……魔法の、力を――』

 

 ――そんな、懐かしい夢を見た。
 高町なのはにとってそれは運命の出会いでもあり、新たなる自分を見つけることの出来た掛け替えのない彼の夢。
 ユーノ・スクライアという少年。初めて魔法を教えてくれた、レイジングハートを預けてくれた、何度も守ってくれた、大切な友達。

 けれど、きっと彼は高町なのはのことを知るはずが無い。
 高町なのはが彼のことをどれほど知っていようとどれほど信頼していようとどれほど好いていようとも――この世界で、この『高町なのは』を知る存在など居ないのだから。

 

 時が来た、っと――彼女は目をゆっくりと開く。見慣れた天井を見つめ、深く心に刻むように、呟く。

「――それでも、守りたいんだ。大切な、友達を。大好きな、友達を……そして、助けられなかったたくさんの人たごぼふぇっ!?」

 華麗にキメ台詞を決める前に、バシャーと滝のように血が口内から逆流する。開幕ホームランならぬ開幕吐血。
 この世界に来てからは初めての経験である。

「ええ、なんで!? ごほっ! まほらばっ!?」

 ふとベッドを見れば今血を吐いたはずなのにどう見てもそれ以外の血で枕やシーツが染まっていた。
 どうやら寝てる間にも吐血していたらしい。寝違えや寝ゲロという言葉は聞いたことはあっても寝吐血というのは初めてだ。

(ごふっ……ま、まさか……ね、念話もアウト、なの……?)

 他に原因は見当たらない。吐血は主に魔法を使ったときが一番多かったのだから。

(ちょ、ちょっと待って!? 今日はユーノくんを探しに行かなきゃ駄目なのに、血を吐いてる場合じゃ……。
 というか見つけた後だって念話を何回も使うんだよ!? ど、どうしよう! 最近よくわからないけど体が丈夫になったからなんとかなるって希望が見えてたのに……!?)

 一応、なのはの1つのプランを用意していた。
 ユーノを保護したあとははやての家に退避してジュエルシードの暴走体を待ち構える→襲って来たら吐血を覚悟で結界を展開して八神家を守る→ジュエルシードの魔力や結界に気づいたリーゼ姉妹が助けに来てくれる→あとは野となれ山となれ、口先三寸で誤魔化しリーゼ姉妹にジュエルシード集めを託す。

 といった全力で人任せな計画。無論、リーゼ姉妹が助けに来てくれない可能性もあるが、そうなれば骨が折れようと血を出し尽くそうと2人を守りながら暴走体を撃退し封印するつもりだ。
 未来のエースオブエースだった知識と力を持つこの高町なのはならばデバイスを解さなくとも暴走体の撃退は可能だし厳しいだろうが封印だってなんとか出来る。

 ただ1つの難関であった体の脆弱さだって、何故かほんの少しだけ体が丈夫になったので問題ないはずだった。
 いや、出血多量と大量骨折で確実に長期入院することを“問題ない”というなればの話だが。

「くっ……それでもやるんだ……! 私は絶対に諦めなぶっふぇ!?」

 

 その後、起きてこないなのはを心配した家族が様子を見に来て、絹を裂くような悲鳴が近所に響き渡ったのは当然の結果である。

 

 ■■■

 

 あれから、何時間の時が過ぎたのだろうか。ユーノ・スクライアが目を覚まして、最初に思ったことはそれだった。
 疲労と怪我でぼやける眼を空を向ければ、すでに日は沈み、オレンジ色の夕暮れが闇に染まりかけている。

(……あの暴走体を逃してしまったのは真夜中……ということはすでに半日以上過ぎてる……っ!)

 よろよろと彼は力の入らない足と手に鞭を打ち立ち上がった。
 “人間体”でいるときよりも圧倒的に動きやすいこの“フェレット形態”ですらこのざまだ。
 暴走体を取り逃がしたとき、最後の最後で行ったスクライアの一族に伝わる変身魔法を使用したことにより、ほんの気休め程度だが体力と魔力は回復しているようだが。そう、ほんの気休め。わずかに歩けるようになって、わずかに念話くらいならば使えるといった程度の回復。

 これでは戦うことはおろか逃げることすら難しい。
 再びあの暴走体と相対したならば、待っているのは確実なる“死”だろう。

(念話を受け取ってくれた人は、いなかったのか……この近くに、魔導士やその資質を持った存在は……)

 救援を求める念話は確かに放った。しかし、誰も駆けつけてくれはしていない。
 しかし、この“管理外世界”ではそんなことをしても近くに魔導士や資質を持った人間がいる可能性が皆無であることはわかっていた。
 それに念話を受け取って貰えても、そんな怪しげな言葉だけで助けに来てくれるようなお人良しなどそういないだろう。

(……何を考えているんだ僕は。そもそも僕が“あれ”を発掘したせいでこんなことになったんだ……。
 それで誰かに助けてもらおうなんて……甘ったれるな! ユーノ・スクライア!)

 自身にそう激を飛ばし、弱い自分を拭い去ろうとする。弱った自分を振るい立たせようとする。
 だが、そうわかっていても、誰も助けてくれないことは辛いものだ。
 知り合いもいない遠い遠い別の世界で1人きり――どれだけ大人びていようとも、ユーノ・スクライアはまだ“九歳”の少年である。
 そんな少年が誰かに助けを求めたところで、果たして誰が責められるというのだ。

 そもそも、この世界に“ジュエルシード”という“願いを叶える宝石”がやってきてしまったのは誰の責任でもない“事故”。
 例え、それを発掘したのがこのユーノ・スクライアだとしても、彼に責任は全く無い。
 それでも傷ついた身を叩き起こして、危険性の高いジュエルシードを回収しようとしているのはほかでもなく――。

 正義感が強く、そして人一倍責任感があり――優しい心を持っているから。

(速く……あれを封印しないと……この世界の人達に被害が及ぶ……前に!)

 

 彼を、助けてくれる人は本当にいないのだろうか……。
 ――実際には全力全開で助けようとした少女が1人いたのだが、その少女を病院送りにしたのはほかでもなく彼の助けを求める声だというのは、なんとも皮肉な話である。

 

 ■■■

 

 “暗闇”が大地を粉砕しながら疾走する。眼前にちょこまかと逃げ惑うのは小さな小さな獣。
 誰がどう見ようとも――勝敗は、始まる前から決している。

「……くそっ!」

 小さき獣の呟きは歯の立たぬ相手への憎しみか、それとも力鳴き己への悔しさか。

 ユーノが目を覚まし、ジュエルシードの暴走体を探し回ってから数刻。
 辺りは完全に闇に沈み、それを照らすのは街灯と儚い月光のみとなった街中で彼らは出会った。出会ってしまった。
 “暗闇”は狩り損ねた獲物を再び狩り初めるように、小さき獣は強大な壁に立ち向かうように、激闘に身を委ねる。

「ガアアアアアアアァ!」

 “暗闇”の咆哮。それは大気を振動させながらユーノの体と心を恐怖に煽る。
 刹那、容赦のない暗闇の“爪”が襲い掛かった。空気を切り裂き、振り下ろされるそれは大地を簡単に砕ける威力を持っている。

(プロテク……ション!)

 それを防いだのは2人の間に現れた、光り輝く一枚の防御壁。ユーノ・スクライアの得意魔法である“プロテクション”だ。
 彼は攻撃魔法の適正を持たない。しかし、だからこそ彼の魔法は防御・補助に特化している。その防御魔法は一級品。一度発動すればそれを破壊するのは困難。

 だが。

(――!? プロテクションを構成する魔力が、足りない……っ!)

 それは、彼が“万全”だったならばの話。
 魔力の足りない防御壁はガラスのように砕け散る。

 プロテクションを破壊した爪の追撃はユーノの小さい体を宙へと掬い上げた。
 いや、掬い上げたなどと生易しいものではない。“吹き飛ばした”といった方が適正だろう。

「がっ……!」

 体が砕けるような衝撃。数メートルほど吹き飛ばされた彼の体は数回に渡り地面を跳ね飛んだ。
 薄れゆく意識。朦朧とする視界のなかで、痛みよりもどうすることも出来ない悔しさが心に溢れる。

(くそっ、くそ、くそくそくそくそっ……! 僕は、僕は……なんでこんなにも……弱いんだっ!)

 その円らな両目から溢れる雫。思考を埋め尽くす膨大な恐怖。
 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
 死ぬのが怖い。痛みが怖い。何も出来きないのが怖い。1人が怖い。孤独が怖い。

 そしてなによりも、このままではなんの罪もない人々があれに襲われてしまうことが……怖かった。

 ――そんな彼に止めを差すように、暗闇が疾走する。
 もはや魔力もあれから逃げ切る体力もない。万策尽きた。いや、もとより勝算も希望もなかったのだ。
 こんなはずじゃなかったのに。あれを発掘したのは、誰かの為になると思ったからなのに。

 目の前に迫る“死”に、ユーノは思わず目を瞑る――。

 

「そこまでだよ!」

 

 その空間に響き渡ったのは、幼く甲高い声。
 しかしその声は勇気に満ち溢れ、そして確かな“強さ”すら感じ取れる。

(――まさか、来てくれた……? 僕の声を、聞いてくれた――魔法の力を持つ、人が!)

 来てくれるとは思わなかった。誰かが助けてくれるなんて思わなかった。
 でも、それでも――来てくれた。

 さきほどまで絶望と恐怖、そして悔しさしかなかったユーノの心に“希望”というなの温かな気持ちが泉のように湧いてくる。
 その声の持ち主を、ユーノは見た。ボロボロの体で、ボロボロの心で、声の主を見た――。

「…………え?」

 その声の持ち主は、少女だった。顔にあどけなさの残る、麗しい少女。
 無論、ただの少女ではない。なぜならば彼女は……。

「君を、助けに来だぼっふっ!? ごっほっ、助けに、ごほっ!」

 ついさきほどまで病院で危篤状態でしたと言わんばかりに、おそらく元は純白だったであろう入院服を真っ赤に己の吐血で染め上げていたのだから。

 

 ユーノは思った。助けがいるのは君のほうじゃ!? と。

 

 ■■■

 

 成人女性の平均血液量は1kg当たり約75mlといわれている。対して子供の血液量はその半分。体重が30kgならばおよそ2000mlだ。
 血液は人間の身体にとって重要な機能と役割を担っている。ともすればそれが“無くなる”ということが如何に危険であるか理解できるだろう。

 血液の15%を損失すればのどが渇き、いくら水分を補給したところでそれは収まらない。
 30%がなくなれば得体の知れない不安感が襲い、それによるいらつきや恐怖によって凶暴性が引き出される。
 40%ともくれば、単純に“眠く”なる。脳に血液から運ばれる酸素や重要や物質が回らなくなるのだ。
 そしてそれさえも超えた40%以上になれば――、一秒前の記憶すら曖昧になり、自分のことすらわからなくなるほどの混乱が襲う。
 それがしばらく続けばやがて意識さえもなくなり、身体は衰弱し――やがては“死”ぬ。

(――あ、あれ? 私、何しに来たんだっけ……なんで、こんなに……眠……)

 ユーノ・スクライアを助けにやって来たこの時点で――高町なのはは“3分の1”以上の血を流していた。
 高町なのはの体に現れている異常は、子供の体では決して耐えれるものではない。
 すでに死んでいたとしてもおかしくない。否、むしろ死んでいるほうが自然だろう。
 そんな体で病院を抜け出したというのは自殺行為に等しく、そんな体でこの場所にたどり着けたというのは奇跡に等しい。


 まどろむ瞳でなのはは目の前の光景を見つめる。
 荒れ果てた道路。自分を見定めるかのように“暗闇”がこちらを向いて蹲っている。
 そのすぐ後ろには小さな動物。傷つき、血にまみれ、小さく震えていて。

(…………ユーノ、くん)

 フラッシュバックする光景。多少は違えど、高町なのはにとってそれこそ己の全ての始まり。
 愛すべき友人、ユーノ・スクライアと初めて出会ったその記憶。

(ユーノくん、ユーノくん、ユーノくんユーノくんユーノくんユーノくんユーノくん――)

 病弱の体を酷使してまで行った魔力反応の探索と感知。血を吐き続けて、死ぬ思いでやってきた。
 それは全てこの為に、未来の友達を救うため。たとえここが違う世界で、たとえ違う人達だとしても、たとえ誰もが“高町なのは”を知らなくとも。

 得られなかった誰かの幸せを得る為に、彼女はここにやって来た。

 誰かを救うために、誰かが幸せになれるように。
 そしてその誰かが幸せになれた分だけ――高町なのはは幸せを感じる。
 誰かの為に己の為に。その2つがあるのならば、彼女はきっと全ての血を失おうとも――。

(――いま、助けるから!)

 ――戦うことが、出来るのだ。

 そして、いまもまた“誰かを守りたいから戦う為に”彼女は大地を踏みしめ、駆けだした。
 そんな駆け出した一歩先にあったもの。それは“ヒビ”だった。おそらくはあの暗闇が暴れた際に作られたのだろう。
 そのヒビの間に華麗ともいえるタイミングで足を突きいれ――。

「あ」

 彼女は転んだ。結構な勢いで転んだ。
 『ゴキッ』と――なにかの壊れる音が、静寂に包まれる夜の街に、少女の悲鳴と共に木霊する。

「にぎゃああああああああああああぁ!?」

(うわあああああああぁ!? 右足が向いてはいけない方向にー!?)

 少女の悲鳴と少動物の心の悲鳴はまるで夜空に響くハーモニー。
 別名阿鼻叫喚ともいうだろう。

(痛い、痛いよぉ……う、うぐっ! い、痛いけど、こんな痛み“あの事故”に比べれば……!)

 ありえない方向に曲がっている右足を尋常ではない痛みが突き刺す。しかし彼女は耐えた。
 蓄積した疲労が任務中に爆発し、二度と空を飛べなくなるかもしれないといわれたほどの事故の記憶。
 それを思い出すことによって、“不屈の闘志”を燃え上がらせる。

 そう、あの悲惨な事故に比べれば、右足が骨折したくらいなんだというのだ。
 たかが骨の1つや2つ、どうってことない。私はまだまだ戦える。そうだよね、ユーノくん! っとなのはは瞳に炎を宿らせて前を向く、前に突き進もうとする。

『き、君! 大丈夫!?』

「ごぶふぇぁ!?」

『血を吐いたー!?』

 そこに止めを刺すように、ユーノの念話がなのはに伝わる。
 たとえそれがほとんど魔力を消費しないものであっても、魔法に関与するならばなのはにとっては急所も同じ。
 現在の高町なのはをろうそくに例えるならば、燃え尽きようとしている最後の輝きに水をぶっかけられたようなものだろう。

 しかし、彼女はろうそくではない。
 何度でも言おう。彼女の不屈の意思はそれでも消えないと。

「ごっほっ! かはっ! ユ”、ユ”ー……きみ! 念話を使うのは止めぶべらっ!」

 この世界のユーノ・スクライアはまだ高町なのはを知らない。
 ゆえに現在の高町なのはがユーノ・スクライアを知っているのはおかしいのだ。
 そう考えて、あくまでなのははユーノと初対面の振りをする。

 それはある意味辛いものであったが、怪しまれでもしてレイジングハートを借りれないなどのことになれば2人とも死ぬのだから。
 もっとも、血まみれの少女を怪しまないものがいないことを彼女は考え付いていなかったが。

『え!? ど、どうして、というか君は一体――』

「まそっぶ!? お”ぇっ! ……い、いいから使わないで!」

 さながらナイアガラの滝のように血を吐き続ける彼女の幽鬼にも似た迫力に、ユーノは気おされてそれ以上何もいえなかった。
 いえなかったが、ユーノはここであることに気づく。

(彼女が何者かはわからないけど……信じられない魔力を感じる! 魔法を発動すらしていないのに肌身だけでわかるほどの……!
 で、でもなんで彼女はあんなにボロボロなんだ!? と、というかあれは死んじゃうんじゃ!?
 いますぐに回復魔法をかけてあげないと……で、でも今の僕には魔力も彼女を連れて逃げる力もない。どうすれば、どうすればいい――)

 彼は必死で悩んだ。自分の為に駆けつけてくれた少女が、たとえそれが何故か最初から死に掛けていたとしても、絶対に死なせたくなかったから。

「ガルルルルゥ――」

(暴走体が、動く!?)

 先ほどまで傍観を決めていたジュエルシードの暴走体である“暗闇”が痺れをきらせたのか蠢き始めた。
 当然だ。というよりはなぜ止まっていたのかと疑問を持つくらいなのだから。

(けほっ……! お、思った以上に厳しすぎるの……でも、あと3回の魔法――命を燃やしてでも、使ってみせる!)

 一度目はレイジングハートの起動。二度目はプロテクションよりも魔力使用の少ない一発の魔法弾の射出。三度目は封印。
 結局前回同様リーゼ姉妹は助けに来てくれない。ならば自分がやるしかない。
 命をかけてでも友達を守ってみせると、彼女は限界をとっくの昔に通り越してる身体に激を飛ばす。

「君! デバイスを持ってない!? 私は持ってないの! 持ってたら貸して!」

 枯れた声で、口の中に溜まった血液を飛ばしながらなのはそう叫んだ。これから先、幾度の激戦を共に戦い抜いてきたパートナーをこの手に掴むため。

(デバイスのことを知っている!? 彼女は魔導師なのか!? でもなぜ彼女ほどの魔力を持った魔導士がこの世界に?
 それにデバイスを持っていないなんて……くそ、このまま考えても拉致があかない! 彼女は戦ってくれる気だ、他の誰でもない僕の為に!
 僕より怪我が酷そうなのに、戦おうとしてくれているんだ! 僕が、弱いばっかりに……!)

 自分が強ければどれほどよかったか。自分だけであの暴走体を封印出来ればどれほど良かったか。
 あの血まみれの少女に今は頼るほかない自分が死ぬほど嫌になって、死にたくなるほど情けなかった。

 彼女が望むように、ユーノはデバイスを持っている。それはユーノにすら、いや、一族の誰もが使えない極めて扱いの難しい特注品。
 太古の遺跡より発掘されたインテリジェントデバイス。その名も『レイジングハート』。

(ごめん、ごめん、ごめんなさい……でも……今だけは、力を貸して!)

 心の中で悔しさに涙しながら、ユーノもまた限界のはずの魔力を燃焼させ、己の胸にかけてある待機状態のレイジングハートをその少女に向けて弾き飛ばした。

 自分に向けて飛んでくる赤き宝石。それに向けてなのはは手を伸ばす。

(レイジングハート……もう一度私に力を!)

 それは運命の再開。ここに、エースオブエースと未来に呼ばれることとなる魔法少女が再び誕生する。

 

 ――はずだった。

 

「ガアアアアアアァ!」

 

 “ぱくん”と空中を飛んでいたレイジングハートは、“暗闇”のその大きく開かれた口の中に吸い込まれ――。

 

「え?」

「は?」

 その光景に、おもわず呆けた声を上げる2人。その光景が信じられないように、信じたくないように。

 ボリボリと音を上げて租借するそれをみて――高町なのははことの全貌をようやく理解した。

 

 すべての希望が、なくなったのだと。



 ■■■


 

 高町なのはにはいつも傍に居てくれるものがいた。
 それは家族でもない。それはユーノ・スクライアでもない。それはフェイト・テスタロッサでもない。それは八神はやてでもない。

 それはレイジングハートという名のデバイス。
 魔法の存在を知って、魔法を使い始めてから――レイジングハートはずっとなのはの傍に居た。片時も離れず、なのはを守っていたのだ。

 けれども、なのはを守りきれない時もあった。
 その度にレイジングハートはインテリジェントデバイスには不向きのカートリッジシステムを自らに組み込んだこともあった。
 彼女が強くなれば、レイジングハートもそれにあわせるように強くなっていく。2人は一緒に強くなったのだ。なのははそんなレイジングハートを信頼して、レイジングハートはそんな主を愛した。

 しかしそれは違う世界の高町なのはの物語。
 この世界ではたとえ彼女がレイジングハートをどれほど知っていようと、レイジングハートは彼女を知らない。それでもなのははこの世界でも、彼女と共に歩むことを望んでいた。

 最高のパートナー。最高の相棒であるレイジングハートを。

「――嘘、だ……」

 破滅の音がしていた。鉱石が砕き潰されるような音が響いている。

「ガウウウウゥ……ガッ!」

 “暗闇”が何かを吐いた。無数の欠片に散らばったそれは月光を反射しながら空を舞う。
 とても幻想的な光景だった。それが光景があまりにも綺麗で、それがあまりにも儚くて。

 だからそれが――とても現実だと思えなくて――呆然と、してしまった。

 最初に動いたのは“暗闇”。それは獰猛な野獣を思わせる動きでなのはに向かう。
 一方、彼女は完全な放心状態だ。自分のデバイスはレイジングハート、それは世界が何度変わろうとも変貌しないものだと思っていた。

 そう思っていたのに――レイジングハートは、もういない。
 あれだけ砕かれてしまったらもう修理も再生も不可能だろう。

 なのはにとってレイジングハートは“物”ではなく“人”だった。
 真面目で、少しだけ寡黙で、自分のことをなによりも思ってくれる“彼女”――そんな彼女が、“死んだ”。迫りくるあの“暗闇”に殺された。

 守ろうとしていた、大切な人を守れなかった。

「――ああ、ああああああああああああああああああああぁ!」

 その悲痛な叫びは悲鳴のようで、悲しみを帯びた泣き声のようで。
 雄たけびを上げながら彼女は、溢れだした涙を拭うこともせずその手に魔法弾を構成する。

 この世界では未来のこととなる知識と経験を彼女を持っている。
 デバイスを介さずに放つ魔法など彼女にとっては簡単なことだ。

 その体が、普通の状態であったなら。

 体内で爆弾が爆発したかのような衝撃が彼女を襲う。口から吹き出るのはどす黒い色をした血。
 思考が定まらない、視界もだ。それでも彼女は構成した魔法弾を“暗闇”に向かって射出する。
 過去の戦闘では初めて使った、しかも防御魔法にもかかわらずあの“暗闇”はそれだけで爆惨したのだ。

 当たれば間違いなく勝てる。レイジングハートの仇が討てる。

 けれど――無情にもその魔法弾は“暗闇”の一部を弾き飛ばしただけだった。
 悲鳴を上げる“暗闇”。瞬間、その吹き飛ばした部分に“闇”が集結し再生を始める

(そん、な……)

 “暗闇”の動きが俊敏なこともあった。放った魔法弾の咆哮がずれたこともあった。
 しかし最大の原因は、高町なのはの体はもはや限界の限界を超えていたということ。

 不屈の心は折れずとも――その器が先に折れていた。
 彼女はもう立つこともままならない。糸の切れたマリオネットのように地面に倒れこむ。

『君っ!? そこから逃げるんだ! 早く!』

 使うなといわれたはずの念話を使用してまでユーノはなのはにそう伝えた、伝えずにはいれなかった。
 だが、ユーノと同じくなのはにもはや自分の体を動かす力は残っていない。
 それどころか、念話を受信したというのに血を吐かないし痛みさえ感じない。
 吐けるだけの血も残っていないのだろうか。痛みを感じるだけの神経も動いていないのだろうか。

(…………)

 なのはは、考えることが出来なかった。意識は途切れる寸前であり視界には何も映らない。
 あのジュエルシードの怪物のように真っ暗だ。

「ガァ、ガアアァ――ガアアアアアアアアアアァ!」

 再生の終わった“暗闇”が咆哮を上げてなのはの元へ疾走する。
 ユーノが何かを必死に叫んでいた。しかしなのはは動かない。動けもしないし、“暗闇”が迫っていることにも気づいていない。

“暗闇”が闇の広がる大きな口を空け、“よくもやってくれたな”とでも言うようにその牙を――。

 

 


 彼女の頭に突き立てた。

 

 最後に聞こえた悲鳴は誰のものだったのだろうか。

 

 なんの偽りもなく、なんの嘘もなく、それが当然であるかのように。

 

 高町なのはは殺されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 『 』が聞こえる。

 化物が去り、2つの肉塊だけが残されたその場所で、何かが『 』を唱えている。

 召来の『 』。名を口ずさむことさえ禁忌とされるそれを讃える『 』が。

 暗闇などよりもずっと深い、深淵を覗く禁断の『 』。

 

 ――『 』が、聞こえる。

 

 

 

 

 ■■ ■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■■■ ■■■■■ ■■ ■■ ■■■■

 

 ■あ ■■ ■す■■ ■■た■ ■■あ■■ ■る■■■ ■ぐ■■■■■ ■■■と■ あ■ ■■ は■■■

 

 ■あ い■ ■す■あ ■■た■ く■あ■■ ■る■と■ ■ぐ■■■る■ ■る■と■ あ■ あ■ は■■あ

 

 いあ い■ ■す■あ ■■た■ く■あ■■ ■る■と■ ■ぐ■■■る■ ■る■と■ あ■ あ■ は■■あ

 

 いあ い■ ■すたあ は■た■ く■あ■く ぶる■とむ ■ぐと■■る■ ■るぐと■ あい あ■ は■たあ

 

 いあ い■ はすたあ は■たあ くふあ■く ぶる■とむ ■ぐとらぐる■ ■るぐとむ あい あ■ は■たあ

 

 いあ い■ はすたあ はすたあ くふあ■く ぶるぐとむ ■ぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい は■たあ

 

 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあ■く ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい はすたあ

 

 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ■るぐとむ あい あい はすたあ

 

 いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい あい はすたあ

 

 


 いあ! いあ! はすたあ! はすたあ! くふあやく! ぶるぐとむ! ぶぐとらぐるん! ぶるぐとむ! あい! あい! はすたあ!

 

 

 


 ■■■

 

 


「――あれ?」

 なのはが目を覚ますと、そこは見覚えのある場所だった。
 当然だろう、そこは自分の家の部屋なのだから。

「……私、たしかユーノくんを助けに行こうとして、それから……なんでだろう、思い出せない……」

 おかしなことにこの部屋で眠った記憶がない。
 体はかなりきつかったが、ユーノを助ける為に病院を抜け出そうとして――というところまでは覚えていたが、そこで記憶が無くなっている。

「――っ! ユーノくんは!?」

 部屋を見渡す。何の変化もない、いつも通りやけに本が沢山ある“この世界”の高町なのはの部屋。

(ひょっとしてユーノくんを助けに行こうとして倒れちゃったの私!?
 た、大変だ……ユーノくん、無事だよねユーノくん……! そうだ、私何時間眠ってたの!?)

 自分が倒れていた時間を確かめる為に携帯電話で時間と日付を確認する。

 

 そして、なのはは凍りつくように絶句した。

 

 携帯電話に記された日付が、高町なのはがこの“高町なのは”に逆行して来た――その日だったのだから。

 

 


 こうして運命の輪は絡んで動き始め――全てが、ゆっくりと壊れていく。

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