面と向かっては恥ずかしくていえないけどれど、私はなのはが大好きだ。
 初めて出会ったときから気になって、付き合いを深めていくうちに、なのはのことを知っていくうちに、どんどんなのはのことがたまらなく好きになった。

 どうしようもないくらい彼女は弱い。運動神経ゼロだし、そもそも運動自体が出来る体じゃない。
 軽く小突いただけで下手をすれば骨にヒビが入るかもしくは折れる。繊細なんて問題じゃない彼女。
 けれど、それでも彼女は強い瞳をしていた。眩しいくらいに強い心を持っていた。

 今では思い出すと顔を両手で覆ってじたばたしたくなる、昔の私。
 自分だけが特別だと思っていて、私こそが世界の中心なのだとでも思っていたかのような時期。
 何も知らない能天気な子供だった私。つまらない理由ですずかの大切なものを取り上げ、泣かしてしまった私。

 それを、そんな弱い体で叩いてまで間違いを正してくれようとしたのが高町なのはだった。
 はじめは親にも叩かれたことなんてなかったのに! っとなのはを恨めかしくも思っていたかもしれない。
 骨を折ってまで叩くなんて、頭がおかしいんじゃないかと思っていたのかもしれない。

 けれど、ちょっとづつ大人になっていくにつれて、私がどれほど子供だったのか、なのはがどれほど大人だったのかを理解できるようになった。
 まあ子供だった大人だったと言ってもあの頃の私達は小学一年生で、今もそれから二年間しかたっていない小学三年生だ。
 大人からみたらなのはも私も子供だろう。だけど、子供にだって物事の善悪やそれに伴う価値観だってある。
 私はそれが曖昧で、なのははそれがしっかりしていたということ。

 今では一緒にいないことが考えられないほど親しくなった親友、月村すずかは彼女のことが好きだ。
 けれどその“好きの”ベクトルは“憧れ”に近いものだと思う。確かに私にとってもなのはは憧れる存在だ。
 誰よりも弱いくせして、その内なる心は誰よりも強くて。誰にも優しくて、だからこそ厳しいところもあって。
 困ってる人を放っておけないどうしようもない善人で。相手がどんなに怖い人だったとしても怯むことなくそれが間違っているなら間違ってると言える勇気を持っていて。

 すずかはそんななのはに“なりたい”のだろう。すずかは少し控えめで、少しだけ臆病なところがある。
 そこが可愛いところだと私は思うけど、本人はそれが嫌なようだから。

 ――そんな、すずかの好きと私の“好き”は違う。確かに私もなのはに憧れているところもあるし、なのはのような強い人になりたいと思っているところもある。
 けど、私とすずかの好きはやっぱり違う。決定的に違う。

 すずかならばもしも新しい友達がなのはに出来たとしても、自分のことのようにとても喜ぶのだろう。
 その新しい友達がなのはとどれほど親しくなっても、笑顔でそれを見ているのだろう。

 でも、私はきっと“嫌だ”。なのはに新しい友達が増えるのが、その友達と“私以上に”親しくなるのはきっと嫌だ。
 嫉妬してその新しい友達にきつくあたってしまうだろう。なのはに対して私は“独占欲”に満ちている。
 少し前に私はちょっとづつ大人になったといったけれど、それはやっぱりちょっとだけ。

 私はまだ、子供のように独占欲の溢れる、子供だから。

 

「うーん、信管はライターとラジオを組み合わせて作れるとして、問題の爆薬が……」

「濃硫酸と硝酸アンモニウムでニトログリセリンが作れるらしいで?」

「でもニトログリセリンは安全面が気になるよ。保管場所も探さないとだし……」

「なら肥料爆弾はどうやろか? ニトロよりは簡単に作れるで?」

「けど肥料爆弾は威力がなぁ……」

 と、そんな怪しげな会話を図書館の隅で繰り広げるのはなのはとはやての二人組み。
 すずかから聞いてはいたけど、なのはが爆弾フェチに目覚めたってのはマジなのね……。

「ん? あれ、アリサちゃん?」

「あー、アリサちゃんや。珍しいなぁアリサちゃんがこの図書館に来るの」

「私だってたまにはくるわよ。というかなのは! あんたが爆弾フェチに目覚めるのは勝手だけど、はやてを巻き込んでんじゃないわよ!」

 巻き込むなら私にしなさい、と言えないところが私の駄目な性分だ。
 くっ、この無駄なプライドがときどき恨めかしくなるわ。というかなんで私じゃなくてはやてに頼ってんのよ!

「うう、だって……」

「まあええやんアリサちゃん。爆弾作ろおもたら一人じゃ大変やし、それに作る場所もいるんやから。私の家だれもいんへんから丁度いいんよ」

 少しコメントしにくいことをさらっといわないでよはやて……。

「それになのはちゃんの“一番”の親友としては、やっぱ手伝ってあげたいやん?」

 にひひ、と笑顔で私を見るはやて。ぴきっ、と私のコメカミに青筋が入ったのが自分でもわかる。
 “八神はやて”は私達と出会う前から高町なのはの親友だ。お互いに原因不明の病気を持っているという共有感があるからだろうか、彼女達には私が立ち入れない不思議な“絆”がある。

 ……悔しいけど、わかってしまう。なのはは直接言わないけど、なのはの“一番”の親友は八神はやてであることを。
 昔からの馴染みで、今もなおその関係は続いていて。壊れることのない絆、不滅の友情。
 当然はやてはなのはが大好きで、なのはもはやてが大好きで。そのはやての“大好き”は私の“好き”と限りなく近くて。
 ――したくないのに、どうしても嫉妬してしまう。八神はやての“位置”に。なのはの一番傍に“いられる”彼女に。

 でも、それは“現段階”の話。はやてが“今の”なのはの“一番”だとしても――私は諦めない。
 これからの“一番”を目指せばいいんだから!

「だったら“最新”の親友の私が手伝っても問題ないわよね?」

「いやいや、ここは“最愛”の親友である私が手伝ってあげてるんやからアリサちゃんは休んでていいんやで?」

「そうわいかないわよ。なのはの“最強”の親友としての義務が」

「私も“究極”の親友の」

「私だって“至極”の親友で」

 そう延々と親友発言を繰り返す私とはやて。なかなかやるじゃない、でも負けないわよ!

「ふ、二人ともどうしちゃったの?」

「なのはは黙ってて!」

「なのはちゃんは黙ってて!」

「……はい」

 

 ■■■

 

「……ちょっとトイレ行ってくるね!」

 となのはが逃げ出したので、私とはやての親友合戦も一息つくことになった。
 肩で息をするほどに発展したのはさすがにやりすぎたわね……。

「ぜぇ……ぜぇ……さすがはやて……やるわね……」

「はぁ……はぁ……そういうアリサちゃんもや……」

 そうお互いに讃えあう。川原で殴り合いを繰り広げたかのような爽快すら感じる気分。いや、実際にやったことないけど。

「ふぅ、それにしても……やっぱりアリサちゃんはなのはちゃんが大好きやねぇ……」

「べ、別になのはのことなんて!」

「いやいまさらツンデレを取り付くわんでも」

 何よツンデレって。

「はやてだってなのはのこと好きじゃない」

「せやなぁ。私はなのはちゃんが大好きや……けど、最近思うんよ」

 急にその表情に影を落として、はやてはどこか遠くを見るような瞳で視線を逸らす。

「私はなのはちゃんのことが好きやけど――なのはちゃんは、私のことを好きでいてくれてるんかな、って」

「……はぁ?」

 思わず私は呆れた声を上げてしまう。なのはがはやてのことを好きでいてくれるか? そんな当たり前じゃない。
 見てるこっちがムカつくくらい普段からいちゃいちゃしてる癖になにを言ってるのか。

「それは自慢? 自慢なの? 最近なのはちゃんが爆弾ばっかりで私に構ってくれへんよ〜って自慢? だとしたら私の拳がバーニングするわよ」

「ちゃうちゃう。いや確かにちょっと自慢になってしまうかもしれへんけど、“少し前”のなのはちゃんは私のことを本気で好きでいてくれたんよ。むしろ愛してくれてたといってもええかもしれん」

「OK、完璧なる自慢ね。さあはやて右の頬を出しなさい、そしたら次は左よ」

「少しは最後まで聞こうとする気はないんアリサちゃん!?」

「あるわけないでしょ!? 何が本気で好きでいてくれたよ! 何がむしろ愛してくれたよ! ライバルのそんな惚気話聞いていられるかー!」

 はやてに向かって右スマッシュ。といっても当てる気はないこけおどしだけど「のわー!?」と変な悲鳴をあげて立ち上がりすばやくかわしてまた元の場所に座る。

「危っ!? 暴力反対! 乱暴な子はなのはちゃんに嫌われるで!?」

「当てる気なんて無いわよもう! それにいいわ暴力女で! なのははドMだから相性いいはずだし!」

「それは確かになのはちゃんMなとこあるけど!」

「あるんだ!?」

 冗談だったのに!? ひょうたんからこまが出るってやつを初めて経験したわ。そうか、なのはってMだったんだ……。
 はっ!? もしや体が弱すぎて痛みが逆に快楽に感じるようになったとか!?
 だとしたら私がいままでなのはが傷つかないように怪我しないように見守ってきたのは逆効果!?

「ちょっと二人ともなにしてるの!? 喧嘩なんて駄目だよ!」

 そこに丁度トイレから戻ってきたのはなのは。どうやら私達が本気で喧嘩していると勘違いしてるみたいね。

「ねえなのは、ちょっと殴っていい?」

「嫌だよ!? 折れちゃうよ!? なんで、私何かした!?」

 はやての嘘つき。

 

 ■■■

 

 帰り際、はやてが先ほどの話の真意を私にこっそり教えてくれた。

『最近のなのはちゃんは、なんというか“平等”なんや。昔は私が一番なのはちゃんに愛されてるって自覚があったし自信もあった。
 なのはちゃんを独占してるのが嬉しくて、その優越感がたまらへんかった。でも……最近のなのはちゃんはそうじゃない。
 もちろんきっと私のことを好きでいてくれてるのはたしかやけれど、その好きは“私だけ”の好きと違う。
 ――今のなのはちゃんに、“一番”なんていない。みんな“同じくらい好き”になってる。
 それはなのはちゃんが成長した証かもしれへん。1人の誰かに依存することを止めて羽ばたいた証拠かもしれへん。
 でも……それが私には、たまらなく嫌なんよ。私だけのなのはちゃんじゃなくなってしまうんやから。あははは……私は本当に、子供やね……』

 そう呟くはやては、とても寂しそうだった。そしてとても苦しそうだった。

「平等、ねぇ……」

 すでに日が落ち始めた夕暮れを見つめる。はやてが言っていたことは本当なのだろうか。
 もしもそれが本当ならば、私はそのなのはの内面の変化に気づかなかったことになる。

 私が気づいたことといえば、ここしばらくなのはが本を読まなくなったということくらいだ。
 いや、最近は爆弾関係の本を読み始めたけど。

「……やっぱり、はやてに負けてるなぁ」

 それは勝ち負けの問題じゃないのかも知れない。人を好きになることに、人に好きになってもらうことに勝ち負けなんてないのかもしれない。
 でも、はやてが自分を子供だと言ったように、私もまた子供だ。なのはもすずかも、クラスのみんなも子供。
 子供でいられる時間は限られている。だったら、私はこの子供を一生懸命にやりたい。

 何事にも勝ち負けを決めるのが子供なら、独占欲を押さえ込めないのが子供なら私は子供を貫き通す。
 なのはのことで、はやてに負けたくない。はやてに勝ちたい。すずかにも、なのはの家族にだって。
 私は勝ちたい、そして“なのは”を手に入れたい。私だけのものにしたい。

 私は、意地っ張りでわがままで、思ったことを恥ずかしくて言えない子供だけど、“これ”だけはたしかだから。

「――なのはのことなんてぜんぜん大好きなんだからね!」

 その顔を沈ませようとする太陽に向かって私は叫ぶ。決意のように、契約のように。
 はやてがどう思おうと、やっぱりなのはの一番ははやてだ。なのはの好きが平等になった? それがどうした。
 だったら、その平等を崩すくらいなのはに愛されればいい。そんな人間になればいい。

「絶対に! 負けないんだから!」

 あなたもそう思うわよね、はやて。あなただってなのはみたいに病弱だけど、とっても強い子なんだから。
 私のライバルなら、簡単に諦めてくれないでよね? もしも諦めたりしたら、すぐに奪っちゃ――。

「……あれ?」

 瞬間、何かが私の中に引っかかる。なんだろうこの不思議な違和感。あれ、私さっきなんて言った?
 思い出せ、たしかはやてのことだったような。

 

 『あなただってなのはみたいに病弱だけど、とっても強い子なんだから』。

 

 ……ん? 別におかしなところはない、はやてもなのはと同じく謎の難病を抱えている。
 そんなこと普通に知っている。なのに、なんでその言葉がこんなに引っかかるんだろう。
 足が動かない彼女。車椅子に乗った少女……。

 

 あれ、さっきはやて――。

 

 


 立ってなかった?

 

 


 ■■■

 

 ふと肌寒さを感じてなのはが空を見上げると、わずかだが雪が降り注いでいた。
 天を飾り立てるように舞う粉雪はまるで幻想のようで、綺麗で、儚くて。

(雪は……あんまりいい思い出ないな……)

 それは遠い過去、そしてあるいは未来の出来事。
 自身の不甲斐ないミス、それによって大切な友達の心に深い傷を刻んでしまった。周りの沢山の人たちにも迷惑をかけて、なのは自身もまた――。

(――リインフォースさんも……)

 悲しい別れがあった。呪われた因果に囚われる1人の女性。ようやく解き放たれたというのに、彼女は消えなければならなかった。
 それが彼女にとってどれほど辛かったことだろう。彼女の主もまた、それ以上に辛かったことだろう。

「今度は……助けたい、助けてみせる。たとえそれが私のわがままだとしても……」

 助けたい、そう願った。助けてみせる、そう誓った。
 どんなに後悔したところで、過去は変わらない。変えられない。
 それが世界の理。しかし――高町なのははチャンスを得た。

 運命を変えられるかもしれない、そんな奇跡を。
 この世界が、前の世界のような軌跡を描くことはないのかもしれないけれど。

「プレシアさん――リインフォースさん――」

 助けたい人がいる。大切な友達の、家族がいる。
 その人達だけじゃない。この世の次元世界には、もっともっと悲劇が溢れている。

 そのすべてを救えるとは思えない。高町なのはは神様でもなければ万能でもなければ無敵でもない。
 それでも、それでも――誰かの笑顔が見れるなら、戦い続けよう。

 そうやって、高町なのはという1人の少女は――。

「……変わらないものなんて、ない。みんな変わっていかなきゃいけない。でも――私のこの思いだけは、きっと変わらな」

 そんな最後のセリフを言い終える前に彼女はふっ、と瞬間移動でもしたように消えた。
 彼女は気づかなかった。舞い落ちる雪景色に目をとられ、前方に『工事中』という看板があったことを。

 

「無骨折記録、絶賛更新中やったのになー」

「うん、私も骨折するのかなり久々な気がする」

 最近は定期診断でしかお世話になってなかった久方ぶりの病室である。
 そんななのはの側にいるのは同じくして定期診断の為に病院を訪れていたはやて。
 しゃりしゃりと手馴れた手つきでお見舞いの林檎を剥いて、8つに小分け。その内の1つに爪楊枝を刺し、なのはの口元へと持っていく。

「はい。なのはちゃん、あーん」

「あーん」

 バカップルよろしくな光景。もしもアリサが見たら嫉妬で暴れかねない状況ではあるが、両者はとても幸せそうだった。
 高町なのはが病弱なこの体になってから早1年と数ヶ月。完全に入院慣れをマスターしたと言わざるおえない。

 林檎を齧る心地よい音が病室に響く。
 ゆったりとした空間、愛すべき友人、守るべき友達、ずっと側にいてくれると言ってくれたはやてがそこにいる。
 私に向かって笑いかけてくれている。それだけでなのはの心は癒された。
 無論、骨折の痛みが消えるわけでもないけれど。心はもう、痛くない。

 それからしばらくして、彼女はうとうとと睡魔に誘われる。
 “はやて”という少女が与えてくれる安らぎに安心したのだろうか。今だけは優しいこの世界を堪能して――彼女は、目を閉じた。

「……おやすみ、なのはちゃん。いい夢を見てや」

 

 ■■■

 

 黒ずんだ塊が声を上げて私の周りを徘徊している。蠢くその姿は醜悪そのものだ。
 しかも一匹ではない。“奴ら”は徒党を組むかのように二匹、三匹と増え続けている。
 この部屋に集まっている。仲間を呼ぶように、同胞を召するように。

 どうやら、いつのまにか眠ってしまったようだ。
 そしてまたこの悪夢――いい加減にして欲しい。

 耳障りだ。目障りだ。筆舌し難い気味の悪さに胃液がこみ上げる。
 頭が痛くなってきた。壊れたテレビに流れる砂嵐、そんなノイズが脳内を駆け巡る。

 ――ここから逃げ出そう。こんなところには一秒たりともいたくない。
 そうやって私は病室のベッドから立ち上がる。壊れた足は不思議と動く、好都合だ。

 奴らを視界にいれないように、蠢く奴らに近づかないように歩いて病室の扉を開けた。
 見慣れたはずの病院が、素敵に狂っている。壁は皮を剥いだ生物の肉質に覆われていて、生きているかのように脈動して。
 床には数々の絵の具を混ぜ合わせた、黒に変貌する前の複雑な色で染まっている。歩く度に何ともいえない感触が足に伝わった。

 泥沼の中にいるみたい。異臭が嗅覚を刺激して何の臭いなのだか区別もつかない。
 吐きそうだ、吐きそうだ、吐きそうだ。いや、もうすでに吐いているかもしれない。
 口の中に酸味を帯びた何かが溜まっていた。嗅覚はもはや意味をなさないが、味覚は未だに健在らしい。

 上ってきた胃液と共にそれを吐き出す。血のように赤い、でも血じゃない。血は見慣れている、だから解る。
 これは“血”なんかじゃない。もっとおぞましい別の何かだ。なんでこんなものが私の中から出てくるのだろう。

 ゴボゴボ、ゴホッ。

 早く目が覚めますように、切実にそう願う。
 はやてちゃんはどうしているのだろうか、もう自分の病室に帰ってしまったのだろうか。
 ……会いたいな。さっきまで一緒に居たのに、もうどうしようもなく会いたい。
 はやく会ってこの震える体を抱きしめて欲しい、はやく会って痛みの走る頭を撫でて欲しい。

 

 気づけば、私は上下に浮き沈みする階段を上っていた。
 酷く歩き難い。しかしここを上らなければはやてちゃんの病室にはたどり着けない。

 ――たどり着つけても、この“世界”にはやてちゃんがいるわけがないけれど。それでも、私は彼女に……。
 肩で息をしながら、必死で階段を上りきった。ただ彼女に会いたい一心に。

 

 そして私の目の前に広がるのは、闇に彩られた“墓地”だった。
 日本式の墓石があった。外国式の墓石があった。世界各地――否、“次元世界”各地の“墓”が其処にある。

 一体これはどういうことなのだろう。何を意味しているのだろう。
 そしてなぜ――その全ての墓に刻まれた“名前”が……。

 

 抉りとられている?

 

 得体の知れないものが、背後を撫でる。小さく体が震えて止まらなくなってくる。
 ――進もう。ここで立ち止まっていても、何も変わらない。

 恐怖を振り払って、私を囲むように並んでいる墓の横を行く。
 誰の物かもわからない。そもそも、この墓の下に眠っている人が本当にいるのだろうか。
 いるとしたのなら、それは――。

 墓地を進み、私はようやく彼女の病室のある場所へとたどり着く。
 だいぶ狂ってはいるが、元の世界と照らし合わせれば、おそらくはこの場所のはずだ。

 

 はやてちゃんの病室の扉が、おびただしい数の“鎖”と“剣”に繋ぎ止められていた。

 

 まるで、中にいる者が逃げ出せないように。

 牢獄のように、結界のように、封印のように。

 閉じ込められていた。

 

 ■■■

 

「――はやて、ちゃ……?」

 彼女が目を覚ませば、歪んだ病室はもう見当たらない。
 陽だまりが窓の外から部屋を照らし、心地よい暖かさを生み出している。

 ふと横を見ると、すやすやと吐息を立てながら車椅子の上で眠る八神はやての姿があった。
 いつもと変わらない彼女の姿に、眠った自分を自身も眠くなるまで見守っていてくれた彼女に、なのはは安堵する。

「ずっと、側にいてくれたんだ……」

 それに感動して、なのはは思わず眠る少女の手を慎重に取って、自分の頬を摺り寄せる。
 暖かい体温、綺麗な肌――八神はやての、優しい香り。

「……出来れば、起こして欲しかったな……なんてね」

 そうすれば、あのような不可解で不気味な夢も見ずに済んだが、それは無理な注文だろう。
 人がみる夢なんて誰にもわからない。なのはがうなされていれば話は違ったかもしれないが、不幸にもはやては眠ってしまっている。

 けれど、側にいてくれたことが何よりも嬉しかった。
 とても怖い夢とは、目が覚めた後にもその恐怖心が持続する。
 そんなときに、愛すべき友人が側にいてくれることが、どれほどの安心と勇気を貰えることか。

「――むにゃ……あれ? なのはちゃん……起きたん? ……あっ! ごめん、眠ってもた私!?」

「にゃはは、可愛い寝顔だったよ」

「もぅ、そんな変なこと言わんといてやー」

 

 それからしばらく話し込んで、はやてが診断を受ける時間がやってきた。
 名残惜しくも、はやては車椅子を漕いでドアの前へ。

「それじゃなのはちゃん、検診が終わったらまた来るわ」

「うん、まってるからね。言ってらっしゃいはやてちゃん」

 2人して手を振り合い、はやては部屋のドアノブに手をかけ、廊下へと出た。
 はやく帰ってきてね、はやてちゃん。そうなのはは思いながら、はやてがドアを閉めるまで手を振り続ける。

 

 そんな、病室のドアが閉まる直前に。

 

 


 テケリ、リ――と、“誰か”の声が、聞こえたような気がした。

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