「グアアアァ!」 黒い霧は咆哮をあげて少年に向かう。 「くっ――う、あああぁ!」 幾度となく少年の身体に走る痛み、服から滲み出すのは赤い血。 状況は最悪だ。少年は攻撃を防げ相手の自滅を誘えるともジュエルシードを封印する手立てがない。 (絶対にこの世界に解き放っちゃいけない――! この世界の人達は、何の関係もないんだから!) されど無常。少年の思いだけでは目の前の黒い霧を封印することは出来ない。 一瞬だった。黒い霧が大口を開け、その牙をむき出しにしながら大地を駆けたのは。
「伏せて!」
その声は響いた。幼く、されど凜として力強い声が。 「ギャウウウウウゥ!」 悶え苦しむ黒い霧。そして風に乗って流れて来たのは焦げた匂いと火薬の匂い。 「え?」 少年は動揺を隠し切れない。何が起きたのかもさっぱりだ。 「こっちだよ!」 少女は少年の手を握り、再び走り出した。 「き、君は一体……!?」 「私は高町なのは! 君の名前を教えて欲しいな!」 肩で息をしながら、なのはは少年に振り向いた。 「ユ、ユーノ! ユーノ・スクライア!」 「そっか、ユーノくんか! よろしくね! ところでユーノくん、あれなに!」 なぜか若干棒読み気味のなのはが後ろを振り向くと、その視界に映るものは草木をなぎ倒しながら2人を追ってくる黒い霧だ。 「あれは、その……」 「なるほど! 魔法っぽいなにかなんだね!」 「まだ何も言ってないよ!? って、魔法を知ってるってことは、君はまさか魔導師!?」 「何のことだかさっぱりなの! ところでユーノくんは操作性が難しすぎて自分では使えないけど別の用途では使えるから所持してるインテリジェントデバイスとか持ってないかな! 持ってたら貸して欲しいんだ!」 「デバイスのことを知っててなんで魔導師のことを知らないの!? というか、デバイスの例えが限定的すぎるよ!? なんで君は僕の持ち物を知ってるのさ!?」 魔法のことを知っていても魔導師は知らないというのに、デバイスのことは知っていてしかもなぜか自分の所有するデバイスとぴったりと当てはまるデバイスを持っていないかと告げる目の前の少女、高町なのは。 彼女は一体なんなのだ? (ぜぇ、ぜぇ……ま、まずい……ユーノくんに怪しまれてるかも……) なのはは後悔していた。元の世界では大親友であるユーノとはいえ、この世界では見ず知らずの他人。 走れるようになったとはいえ、以前よりさらに輪をかけて体力の無さすぎるこの体。 ようやくやって来た“三度目”の運命が出会う時、待ち望んでいたこの瞬間。 しかし落ち着いて話をしたくとも暴走体は待ってくれない。 「っ……」 それを目視したなのははくるりと身を翻して、ポケットから取り出したのはスイッチの付いた怪しげな筒状の箱。 「えい!」 スイッチを押し、大きく振りかぶって箱を投擲する。 しかし、腕の痛みは無駄ではない。投擲から十数秒後、その上を黒い霧が通った瞬間――見計らったように箱が“爆発”した。 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアァ!」 黒い霧の一部が爆惨すると共に響くは悲鳴。その爆発は地面を抉りとる程にかなりの威力だ。 「い、今のってまさか爆弾!? 君はなんてものを持ってるんだ!」 「爆弾作りが私の趣味でね!」 「花火職人も驚きの趣味だよ!」 「子供って火遊びが好きなものだもん!」 「それは火遊びなんて度合いじゃない!」 どういう子なんだ彼女は。言動がおかしいし、爆弾は持ってるし、それを躊躇なく爆発させるし。
なんだ、初対面のはずなのに、まるで長年連れ添った友達のようなこの感覚は。
なんだ、同時にその温かささえ感じる感覚とは真逆の、言いようのない奇妙な■■は。
彼女は、“高町なのは”は一体“なんなんだ”? このまま、本当に“ついて行っていいのか”?
それ以前に――僕の不始末に“巻き込んでいいのか”。
――そう考えこむユーノに、なのはは気づいていた。 こんな真夜中に、しかも山奥にいきなり現れた謎の少女にいきなり信用は置けないのも無理は無い。 なのはが立ち止まる、それにつられてユーノもだ。 なのはの思いはただ1つ、それを、口に出してしっかりと伝えたくて――彼女の口が開かれた。 「――私のこと、信じられないかもしれないけど、それでも信じて欲しい。私は君を、助けたい」 そんな言葉だけで、そんな一言だけで信用を得ようなどきっと甘い考えだろう。 信用とは、信頼とは、言葉だけでは得られない。偉そうな言葉を吐こうが、殊勝な言葉を呟こうが、優しい言葉を囁こうとも。 けれど彼女のその言葉の重みたるや――筆舌にし難く。 なのはが手を伸ばす。子供特有の小さく、可愛い手だけれど、無数の切り傷と火傷のあとを隠すように絆創膏が張られたその手は逞しく、そしてとても大きく見えて。 その差し出された手を彼は――。 “信じた”のではなく、自分を助けてくれた彼女を、この手を、“信じてみたい”から。 しっかりと――握った。 「――なのは。僕も、君にいうことがあったんだ。ごめん、これは最初に、君に手をとって貰ったときにいわなきゃ駄目なことだった」 再び2人は走り出す。その足並みはばらばらだった先ほどまでとは違い、同じ道筋を一緒に辿っているように揃っていて。 「僕を、助けてくれてありがとう」 「……にゃはは」 ただ笑顔で、必死に走った。
■■■
――爆弾を放っては駆け、放っては駆けること数分。 この場所こそ、魔法が使えないなのはがジュエルシードの暴走体に勝つ為に用意した最終決戦場。 今までに備えた爆弾も、この場所も、何もかもは全てがその為の布石。 「ぜっ、はっ……! ユ、ユーノくん、あの穴――あの穴の中に滑り込むよ!」 「穴っ!?」 彼女の指が示す先には確かに穴があった。ぽっかりと、子供2人が入るには余裕そうな大穴が地面に作られている。 「けど、あれに入ったらもうあいつから逃げられなくなる!」 「大丈夫! もう逃げるのはお終い、あれに入るのは逃げる為なんかじゃなくて――“巻き込まれ”ない為だから!」 巻き込まれる? その言葉に嫌な想像を掻き立てられるものの、信じてみようと思ったからには信じるほかない。 「グアアアアアァ!」 しかし、ジュエルシードの暴走体である黒い霧もまた地獄に誘うような咆哮を上げて迫っている。 「そこに赤い線があるよね、ジャンプで超えて!」 再びなのはが地面を指差す。真夜中ゆえに見にくいが、そこには約1メートルほどの間隔を空けて赤い線が記されていた。 「……っ、わかった!」 そして、全力疾走からの跳躍。幼い彼らといえどもそれくらいの幅なら簡単に飛び越えられる。 「え? いまなんか変な音が……」 「――ヒビで済んだ!」 「何が!?」 ユーノがそう呟くのと、黒い霧が赤い線の上を通ったのは、ほぼ同時だった。 「グゥアァ!?」 俗に言う、落とし穴である。赤い線の中心に入らなければ壊れない、精密に計算されつくしたなのはのトラップ。 「グゥゥ――」 彼が思考と知識を持っていたのなら、その状況にも気づけただろう。 その巨体がすっぽりと入るほどの巨大な穴の中にあったのは、夥しい数の“箱”だ。 箱、箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱箱。 視界を埋め尽くすほどに埋め込まれた、無論全てが“爆弾”で――。 なのはは黒い霧が地面に乗り込まれるのを確認すると、胸のポケットから携帯電話を取り出した。 「それは特別製でね、起爆は遠隔操作なんだよ」 誰に語るのでもないように、虚空に向かって小さく呟く。 「これが、“今の”私の全力全開!」 ユーノを先に穴の中に入らせて、それを見届けてからなのはも中に滑り込もうとする。 「スターライトォ――!」 滑り込んだ穴の中は広く、そしてただ掘ったわけではない。 「ブラスト!」
一回目の爆発が呼び水となって、全ての爆弾が雄叫びを上げた。 きっと黒い霧も悲鳴を上げているのだろう、されどその声は聞こえない。
「な、なのは……や、やりすぎだよ……」 「ちょ、ちょっと……火薬の量、多かったかな……」 未だ安定しない視界に映し出されているのは、地形の変わった原っぱだ。 その穴の中心におぼろげな青い光を放つのは、黒い霧の取れたジュエルシード。 だからこそ、ここでケリをつけなければ。 「ユーノくん、デバイスを貸して貰えるかな」 「そういえば、だからなんでデバイスのこと――いいや、もう」 何かいろんなことを諦めて、というよりは呆れて、ユーノは首にかけられているペンダントを外した。 (彼女がやろうとしていることはきっとジュエルシードの封印) ユーノ自身では魔力が足りない――否、“適正が薄い”為に出来ないから彼女にやって貰うほかない。 (――あれ? デバイスのことを知っていて使えるのなら、“逃げる”必要があったのか……?) ふと彼女の中の魔法の力を感じてみれば、それは膨大な、かつて感じたことのないようなとてつもない魔力だ。 (今度こそ、会えたね――――ん? “今度こそ”?) 自ら思ったことが、気にかかる。今度こそとは、一体どういうことだろう、と。 (……あとで、考えよう。今は、封印を優先しなきゃ) そう、今はジュエルシードの暴走体が先決だ。レイジングハートをユーノから預かって、天に掲げるように突き上げた。 「名前はレイジングハート。デバイスのこと知ってるみたいだから説明は省くけど、いい?」 「うん、大丈夫。起動呪文だけ教えて?」 「……わかった。僕のあとに続いてくれ。我、使命を受けし者なり――」 その言葉に、なのはが続く。 「我、使命を受けし者なり――」 「契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」 「契約のもと、その力を解き放て。風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を」 レイジングハートに魔力が流れる。桃色に輝くは彼女の魔力光。 「レイジングハート、セットアップ!」 なのはが光に包まれる――その中から現れたのは、バリアジャケットを纏った最強の魔導師の姿。 「――さあ、行こうかレイジごぼふぁ!?」 どばどばどば、びちゃっとトリコロールカラーのバリアジャケットと地面が一瞬にしてレッドカラーに染まる。 「血を吐いたー!?」 絶叫するユーノ、そんな彼に対して何度も嘔吐きながら必死になのはは誤魔化す。 「ごぷっ……ち、違うよ、これはトマトジュースを飲みすぎたからだよ!」 「嘘だ!? トマトジュースってこんなにどろどろしてない!」 「トマトケチャップを飲みすぎたからだよ!」 「この世界の人はケチャップを飲料水代わりにするの!?」 いきなり吐血を繰り返すユーノは何か彼女に異常が起きたのかと心配するが、なのははそれを振り払ってレイジングハートをジュエルシードに向かって構えた。 「ジュエ、ごほっ! シード……シリアル21ぃ……封印!」 【sealing.(封印)】 圧倒的な力でねじ伏せるように雄叫びを上げるなのはの魔力。 その封印される光景に安堵したのか、“ぷつ”っと彼女の中の何かが切れた。 (ジュエルシードの封印は十数年ぶりだけど、会心の出来だった、な……これで、やっと、みんなを、守れ……る……) こんな今の自分でも大切な人を“守れた”こと、そしてこれからも“守れる”のだということに対する――感動だった。
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