ひとごろし。

 そう呼ばれたことが私にはある。けれど、実際に私が人を殺したということではない。
 あれは確か、質量兵器を密輸していた大型の犯罪組織を私が一網打尽に壊滅させた時だ。
 勿論、私が壊滅させたと言っても1人でやったわけじゃない。他の管理局員や現地の軍人にも協力して、何百人もの規模でやったこと。そもそも人々からエースオブエースと称されようと、たった1人で出来ることなどたかが知れている。

 Sランクを超える魔導師は総じて化物足りえる存在だ。攻撃方向に魔力資質が偏っていれば都市の1つや2つは消し飛ばせる。
 でも、だからってAAAランクの魔導師を10人ほど相対すればそれに勝つのは私でも限りなく難しい。Aランクであろうと100人を一気に相手すれば簡単に撃墜されるだろう。

 質量兵器を構えた相手なら尚の事。魔法は科学兵器に対して無敵じゃない。マシンガンを連射されればプロテクションは耐え切れないし、ロケットランチャーなら一撃で粉砕される。
 威力の高い爆弾なら突き抜けて重症を追うし、それこそ“核爆弾”なんてものを使われたら――後には微塵も残らない。正直、怖い。非殺傷設定の外された魔法も怖いが、焦げた弾薬の硝煙はもっと怖のだ。
 そんな物を呆れるほどに貯蔵した組織を相手にするなんて、考えただけでも身の毛がよだつ。

 だから数を集めた。そして仲間は集った。万年人手不足を嘆く管理局ではあるが、やはりいるところにはいるものだ。
 数の暴力と言っても過言じゃない戦力を持って、私達は大型組織を根本含めて打倒し拿捕。雑誌やテレビは『エースオブエース率いる管理局が大型密輸組織を壊滅!』と盛大に煽っていたことを覚えている。

 私のネームバリューはどうやら自分自身が思っているよりも価値があるらしい。
 特に率いていたつもりはないのだが、記者は興奮気味に私を持て囃しまるで私が1人で潰したように連日報道を続けた。
 まるで私1人の手柄のようで他の皆には至極悪いと思ってはいるが、それ自体は正直、嬉しかった。『ありがとう』や『凄い』といった自分に向けられる言葉の温かさは一種の麻薬に近いものがある。
 “自分の存在が他人に認められている”。そう思っただけで、ある種の“トラウマ”を持つ私は幸せな気持ちになれた――やってきてよかったって、この仕事を選んで良かったって。

 

 ひとごろし。

 

 なんでも、組織の構成員が何人か捕まる前に自殺していたらしい。
 それ自体は良くある話、だから何の感慨もわかない――いったら当然、嘘だ。けれどそれら全てを一々気にしていたら潰れてしまう。
 メンタル操作の術は訓練学校で学んだ。少しのことなら耐えていける。でも、やっぱり面と向かって、正々堂々真正面から“それ”を言われるのは、やっぱり堪えた。
 私にそう告げたのは自殺した構成員の残された一人娘らしい。何の因果かバッタリ街中で出会った私に向かって、彼女は罵倒の呪詛を叫び続ける。

 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし――。

 私は黙ってそれを聞き入れた、誰かが通報してくれたらしい警察がやってきて彼女が取り押さえられるまで。
 取り押さえられて尚、涙が流れる彼女の恨みの詰まった鋭い双眸が私に向けられていた。

 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。
 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。
 ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし。ひとごろし――。

 私は何も言えなかった。ただ立ち尽くすだけだった。
 思わないことがないわけじゃない。寧ろ真逆――“思うことがありすぎて”どれから告げればいいのかわからなかっただけだ。

 貴方の親を追い込んでごめんなさい、でもこっちだって仕事だった、犯罪を犯していたのは貴方の親だ、1人ぼっちにしてごめん、なんで私だけにいうかな、私だけの責任じゃない、どうすれば償える、悪いのは私じゃない、それを喜んでたのは私だ、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は――。

 そのあと、どうやって帰路についたのかすら覚えていない。
 ただ静かに泣いて、それに気づいたヴィヴィオにずっと慰めて貰っていたことだけを覚えている。
 『情けないママでごめんね』なんて泣き言をいえば、『そんなことない、なのはママは優しすぎるから』なんて慰めが帰ってくる。

 救われる、ヴィヴィオという存在に心の底から救われる。愛する家族の存在とはこうまでも心を癒してくれるのか。
 それはきっと何よりもかけがいの無いもので、それはきっと何よりも大切なもの。

 

 なのに私は、あの子の家族を奪ったんだ。

 

 そう思うと消えたくなって、潰れたくなって、ヴィヴィオを攫って私のことを誰も知らない世界に逃げたくなる。
 でも思った以上にこの身は頑丈で――数日もすればいつもの“なのはさん”を続けることが出来た。
 あの子のことを心の奥底に仕舞うことで、また次元世界の平和を守る管理局員を続ける為に。

 正しいことをしたのに、間違っていると言われる。
 見知らぬ誰かを守れたはずなのに、見知らぬ誰かが死んでいる。
 助けたいという私の願いは、人殺しという形で私の前に現れる。

 世界が矛盾で溢れていることなんて知っている。
 世界が理不尽で覆われていることなんて気づいてる。
 子供の頃に見えていた綺麗なものは、大人になるにつれて醜いものだと解される。

 なんで、私は管理局という仕事に就いたのだろう。
 なんで、私は戦い続けることを選んだのだろう。
 なんで、私は――。

 

 そんな、忘れていた(あくむ)を見た。

 

 ■■■

 

 目を覚ませば、私が居たのは公園のベンチの上だった。
 季節は四月なものだから気温は寒いはずなのに、今は不思議と温かい。

「……これ」

 見覚えのある懐かしいバリアジャケットが私にかけられている。
 ――それもそのはず、そのジャケットは愛しい親友のものなのだから。

 横を向けば、一匹のフェレットが私の横で丸くなっていた。
 そして昨日の記憶を思い出し、現状の全てを理解する。ユーノくんが気絶した私をこの公園まで運んでくれて、バリアジャケットをかけてくれたことを。

 この世界では、ユーノ・スクライアにとって私は見知らぬ不気味な子供に映っていたはずなのに、自身も満身創痍の状態であったのに。
 ――昔から、そうだった。そして、違う世界でもそうなんだ。思わず顔がにやけてしまう。相も変わらずに心優しい少年の存在に。

「守りたい人がいたから――私は魔導師を続けたんだ」

 矛盾を孕んでも、在り方に悩んでも、人を傷つけても――私は、高町なのはは友達の為に戦い続けていける。
 きっとそれが、あの記憶に対しての答え。きっとそれこそが、私の人生の王道なのだから。

「開き直るわけじゃない。けど、私はたオヴォェ」

 ――あー、昨日のダメージがまだ残ってたかなぁ……。
 もう何度目だろこの吐血オチ。私は格好つけると吐く呪いでもかかっているのだろうか。

「うううん……ん? あ、気づいたんだね! って――!?」

 ……とりあえず、私の血で全身を真っ赤に染めてしまったユーノくんに。

「な、なんだこれええええええぇ!?」

 なんて謝ろう。

 

 ■■■

 

 さて、現在私とユーノくんは家路を進みながらもお互いの境遇を紹介し合い、親睦を深めていた。
 ちなみにユーノくんの毛並みはまだ赤い。その赤さといったら赤い狐もビックリの色合いだ。
 私の服で拭っても良かったんだけど、そもそも私の服も赤いちゃんちゃんこのように恐ろしいことになっているし、バリアジャケットは拭う前に魔力構成が切れて消えてしまった。

 ユーノくんは限界を超えていたのにも関わらず私が凍えないようにバリアジャケットで保護してくれていたようで、もうジャケットを作り出す魔力すら残っていない。
 本当にゴメンねユーノくん……帰ったら一緒にお風呂はい――るのは今となっては少し恥ずかしいから、遠慮せずにゆっくり浸かって休んでいってね。
 逆に私は吐いたのにも関わらず体の具合は良好だ。ならなんで吐いたんだろう……どういう構造してるのかなこの体。

 ――というか、太陽が昇りきってない朝方で本当に良かった。血まみれの女の子と血まみれのフェレットが仲睦まじげに歩いているなんてただの怪談話だよ。
 通報されて警察の厄介になってもおかしくないね、うん。ああ、でもこの時間帯ならお兄ちゃん達が朝稽古してるかも……ど、どうしよう。

「――そっか、なのはは未来を知るレアスキルを持っているんだね、魔導師やデバイスのこともその能力で知った、と」

「う、うん! だからユーノくんが襲われているのが事前にわかったんだ。ただ、いつでも発動できるわけじゃないし、あんまり先のことは見えないし、そもそもよく外れちゃったりする駄目駄目な能力なんだ……」

 もちろん、私に未来が見えるなんてカリムさんのようなレアスキルはない。
 それはただの詭弁。嘘を付くのは心苦しいけれど、これから先私はどう考えても“未来を知っているとしか思えない行動”を何度もするだろう。

 だから怪しまれない為にはそうでもいわないと説得力がないから。
 まあ、こんなレアスキルを持っているほうが怪しまれる可能性も無きにしも非ずかもしれないけど。

「そして、レアスキル以外の魔法を使うと多大なダメージを負う体質……」

「多大といってもちょっと血が出るくらいだけどね!」

「少なくとも昨日今日みた限りじゃあれを“ちょっと”とは言えないよ!?」

「ちょっとだもん! 人間が70パーセントの水分で構成されていることを考えればたかが1リットルや2リットル……」

「例え人間が半分以上水分で出来ていたとしても血はもっと少ないから! 大事にしようよ赤血球!」

「それにほら、血がどばどば出るくらい、躓いただけで折れる弱小強度の私の骨に比べれば全然大したことないし!」

「病院に行ってー! そして入院して検査して貰って! 怖い、怖いよ君の体!?」

「病院にはいった。入院は月一でしてる。検査は受けた。原因不明。治る見込みは全くなし!」

「なんでそれを君は明るく語れるんだよ!? あ!? というか昨日の聞いた変な音、もしかして骨が折れた音!? だ、大丈夫!?」

「――あれ? そういえば治ってる……」

「何者なんだ君は!? 何者なんだ君は!」

「高町なのは! なのはだよ!」

「そういうことじゃなーい!」

 うん、ユーノくんと早くも凄く打ち解けれている気がする!
 こんなまるで親友とふざけ合うように話せるなんて前の世界でもなかったもん。
 こっちの世界でもいい関係が気づけそうで一安心だ――なんて話し込んでる内に、愛しの我が家へ到着。
 こっそりばれないように入らないと。お父さん達にむやみに心配かけたくないし……。

「さ、ここが私のお家だよ。上がって、ユーノくん」

「――なのは」

 その声は、静かに響く神妙で、とても真剣な声だった。
 さっきの、ふざけ合うように語り合っていた声とはまったく異質のもの。

「何かな?」

「“助けてくれてありがとう、この恩は絶対に忘れないし絶対にお礼もする”」

「そんなに気にしなくてもいいよ!」

「だけど――“僕はこれ以上君に頼るわけにはいかない”」

 ――え?

「僕は確かに助けてと願った。そして君は助けてくれた。情けない話だけど、もしよければこれから先も助けて欲しいと思ってた」

 そ、そう思うなら、全然私を頼ってくれていいんだよ!? むしろ、こっちから頼られたい勢いで――。

「でも、魔法を使えば血を吐いて、体をどこかにぶつければ骨が折れるなんて女の子に僕の変りに戦ってくれと言えるほど――僕は“非道”になれないから」

 思考が固まる。ユーノくんが言っている意味がまるで理解出来ない。

「だから僕は、もう二度と君に頼れない。下手をすれば――僕が解決しなきゃいけない不始末が“君を殺すことになる”」

 否――理解出来ないはずがない。私はこれでも大人だ。ユーノくんがそう考えるなんて、本当はわかっていたはずなのに。
 さっきの馬鹿げた会話は、無理に明るく馬鹿みたいに振舞っていただけ。“最悪”のパターンを考えることを、放棄していただけ。

「君は本当に優しい子だって、出会って間もない僕が思えるくらいだ。この世界で始めて出会った人が君で良かった。だって――絶対にこの世界を守らなくちゃいけないって決意できたから」

 ユーノくん、さっきから――さっきから

「“また会おうね、なのは”」

 一体、何を言っているの?



 ■■■


 “また会おうね”――はて、その言葉は一体どういった意味合いだったっけ。
 まさか“君のような超強弱体質の娘に力を借りるくらいなら一人で頑張るよ、バイバイ”といった意味だとしたら非常に困る。
 ――否、まてまて。そもそもユーノくんの言葉が日本語だと断定するのは軽率だよね。“Mata a oh ne”という英語、もといミッド語である可能性も否定出来ないわけだから。

 んー、でもこんなミッド語は存在しないしなぁ。私だって伊達に10年以上ミッドで過ごしていたわけじゃないし……。
 少なくともこんな言葉は聞いたことがない。となればミッドでもない違う地方の言語なのだろう。スワヒリ語とか。ああ、なんだそんなことか焦って損したよ。

「ユーノくん、私ちょっとスワヒリ語はわかんないから日本語で話して貰っていい? ――ってもういないし!?」

 目を瞑って思考してたら――現実から目を逸らしてたともいうかもしれないけれど、手品のように姿形が消えていた。
 はやい、行動がはやすぎるよユーノくん! 行動力があるのは知ってるけど今発揮しなくても!
 急いで辺りを見渡しても影も形もない。うううう、どこいっちゃったんだろ……。考えろ、考えろ。ユーノくんが行きそうな場所…….。

 わかんないよ! つーかわかるか!
 ユーノくんと行動を共にしてたのって基本的に私の家だったから、私の家以外でユーノくんが拠点とする場所なんて検討もつかないよ! うううう、どうしよう。なんだか頭が痛くなってきた、というか物凄く痛いよ実際に……。

「な、なのはちゃん!?」

 不意に、私の名前を呼ぶ声がした。
 ぎくっと私は肩を震わせて恐る恐る振り返えってみれば、そこにいたの驚きの表情を作る――。

 はやてちゃんだった。

「……あれ、こんな時間にどうしたのはやてちゃん?」

 今、朝方の4時くらいだよ? 魚市にでもいくのかな。

「それは私のセリフやよ!? なのはちゃんこそ、そんな格好でなにしてるん!? それまさか全部血!?」

 はやてちゃんの目線の先は私の服。
 ……あ、しまった。そういえば私の服血まみれだったっけ。やっべ。

「ち、違うよ。こういう色のデザインなんだ、これ」

「嘘や!? 湿ってるもん!? 真っ赤に濡れてるもん!?」

「そ、それは……ウェットスーツだから!」

「どういうこと!?」

「ウェットスーツなんだから常に濡れてるのは当然だよ!」

「いやいやいや濡れてへん、ウェットスーツは常に濡れてるからウェットスーツって呼ばれてるわけやないで!? 寧ろ常に濡れてるウェットスーツの素材が気になるわ!」

 血まみれの私を見てパニックに陥るはやてちゃん、を見て同じく焦る私。まずい、ここで騒がれたら家のみんなに気づかれちゃう!
 現在の私は血まみれ。私自身の体はなぜか異常に調子がいいくらいなんだけど、そんなことをいってもまず信じて貰えない。ともすれば病院に強制連行は確実。

 こうなれば――よし、逃げよう!
 脱兎の如く私は走る。その脚力たるや全盛期のカール・ルイスをも凌ぐかもしれない。まあ気のせいなんだろうけど。

「なのはちゃーん!? なんで逃げるーん!?」

「私のことは見なかったことにしといて!」

「そんなんで出来るわけないやん!? 転ぶって! なのはちゃんがそんなダッシュ決めたら絶対転んで折れるってー!」

 徐々に私の背後で呆然と立ち尽くしながらも私を食い止めようと叫ぶはやてちゃんに、決して軽くはない罪悪感を感じつつも私は走る。

(ごめん、はやてちゃん……!)

 頑張り屋さんで、素直に見えて実はいじっぱりな友達がいる。
 その友達は、私が不甲斐ないばっかりにたった一人で事件に立ち向かおうとしていて。
 放っておけないんだ。世界が違ったって、ユーノくんは、ユーノくんは――!

 

 私の大切な友達だから!

 

 


「で、探し続けて結局夜になっちゃった……」

 はやてちゃんを振り切ってユーノくんを半日以上捜索するも、ものの見事に見つからなかったとさ。

 死にたい。

 ついでにやっぱり頭が痛い。死にたい気分、増々。

 市街とはいえ凄く広いよ海鳴。というか見つかるわけないじゃないっ。
 フェレットモードのユーノくんをたかが小学生の女の子が一人で探せるわけないよ!
 魔法を使えれば別なのに! 魔法を使えれば見つけれられるのに! もう嫌ぁ……。

「しかも学校サボっちゃってるし……」

 とっくに修学して、もはや予習なんてしなくても分かってしまう勉強内容に意味は見出せないけれど、それでもこの身は小学生。
 学校に通うのが本業だ。しかも病弱で休みまくってるから出席日数が足りないというどうしようもない問題もある。まあ小学校で留年なんてほとんど実行されないらしいけど。

「ううう、お父さん達に怒られちゃう」

 怒ってるだろうなぁ。普段は優しいお父さんとお母さん、そしてお兄ちゃんとお姉ちゃんだけれど。
 こういうことはしっかりと怒ってくれる良い家族だから。愛してくれているからこそ、心を鬼にして叱ってくれる。
 昔は、家族の中で私だけ一人浮いているなんて、ほんの少しだけ場違いのような感慨を持っていたけれどなんのその。
 大人になってみればそれがただ、私が“わがまま”を言わない“わがまま”な子供だったという話なのだと気がついた。

 わがままなんて言わなかった癖して。
 わがままなんて言えなかった癖して。

 もっと構って欲しいなんて言わなかった癖して。
 もっと構って欲しいなんて言えなかった癖して。

 私からは何も言わないのに、全部わかって欲しいのと思い塞ぐ、どうしようもない子供。
 それが昔の私で、それが昔の高町なのは。家族でも、愛してくれていても、お話をしなければわかってもらえないこともある。

 お父さんだって、お母さんだって、お兄ちゃんだって、お姉ちゃんだって。
 子供の心内を魔法のように全て見透かすことなんて無理なんだ。親心、子知らず――故にこそ子心、親知らず。

 これに気づけたのは、ヴィヴィオを引き取って親子で暮らすようになってからだっけ。
 ――はぁ、もっとわがまま言っておけばよかったなんて気づけた時には、もういい大人だったもんなぁ。

 あれだけお話、お話言ってた癖に、ね。

(かといって、迷惑をかけたいわけじゃないのが難しいところで……)

 難しいなぁ、親子関係。大人になった今だからこそ、甘えることが難しくなるなんて。
 成長することが妨げになるなんて、なんて矛盾なのだろう。

「――あー! もう、うだうだ考えてもしょうがない!」

 頭が痛すぎて思考がまとまらないよ。案ずるより生むが易し。怒られよう、こってりと。
 そして反省したあとは、ちゃんと学校をサボってた原因を話して、ユーノくんを探す協力をお願いするんだ。
 甘えられなかった私、甘えられなかった昔。違う世界とはいえ、今くらいは、無力な今だけは大切な家族に――甘えよう。

 

 ■■■

 

 ――その違和感に気づいたのは、我が家が見えた数十メートル矢先という所で。

「……え?」

 家の明かりが、ついてない。
 携帯電話の液晶に映し出された時計を見る。現在21時30分。
 翠屋はとっくに閉店時間を迎えていて、この時間帯だったら全員が家にいるはずなのに。

 どうしたのだろうか、何かあったのか――あ、ひょっとして家族総出で私を探してる!?
 そういえば連絡も何もしてないし、そんな可能性もなきにしもあらずだよ! 早くお父さんやお母さんに連、ら……く……。

 

 あれ。

 

 もう一度、私は携帯電話の液晶画面を覗く。

「……なんで」

 家族から着信がないのだろう。

 学校を勝手にサボったとなれば、学校側から保護者に普通は連絡がいくはずだ。
 私は携帯電話を持たされているのだから、そうなった場合にはまずお父さんでもお母さんでも、お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、私の携帯電話に連絡が入るはず。入らなければ、おかしい。

 ――おかしい。何かがおかしい。
 思えば、ユーノくんと別れた時から、何かが……。

「――痛っ」

 頭痛が激しくなっている。
 ゴリゴリと鋭いナイフで削られていくような、そんな痛みが頭の中で暴れまわって――。

「…………」

 嫌な汗が身体から溢れてくる。シャツが濡れ始めて気持ちが悪い。
 そもそも今日は一日動きっぱなしだった。どうにも汗臭くて不清潔。もういっそ服を脱ぎ散らかして裸になりたいくらいだ。

「お風呂、そうだ、お風呂に入ろう……」

 とにかくさっぱりしたかった。
 そんなことをしてる状況じゃないとは思うけれど、それでもこの肌に纏わりつく気持ち悪さを拭い去りたい。

 ――私は薄暗い家の玄関を開く。
 「ただいま」と大きな声で言ってみるも、返事は返ってこなかった。やっぱり誰もいないみたい。
 本当にどこに行ってしまったのだろうと考えつつも、鳴り止まない頭痛に比例して序々に重くなっていく足を引きずって浴場に向かう。どうせお風呂は沸いてないのでシャワーになるだろうがそれでもいい。

 

 浴場に着いた。すぐさま躾のなってない子供のように服を脱ぎ捨てる。
 しかし放っておくのはさすがに恥ずかしい。大量に流した汗で湿った服を近くの洗濯機に入れようと――んん? この服、こんなデザインだっけ……ってそっか、私の吐血でカラーリングされてたのを忘れてた。
 いやはや、もはや抽象画というか、一種の芸術性すら垣間見ることが出来るかもしれないねこの血の付きか――。

 

 ……あー。またおかしいことを1つ発見しちゃったよ。

 

 私、この服を着て街中を探しまわってたんだよね。
 なのに、誰にも声すらかけられなかったって、どういうことだろう。
 小さな女の子がこんな赤い服を着て歩きまわってたら、はやてちゃんみたいに驚くはずなのに。

 ……はやてちゃん? あれ、はやてちゃんも何か……何かが。

 

 痛い。

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 頭が、本当に割れそうだ。

 私は思考を放棄して浴槽のドアノブを捻る。
 もういいや。とにかく今は汗を流したい。

 

 ■■■

 

 シャワーを終えて、私はパジャマに着替えると部屋に戻った。
 さっぱりしたおかげが、頭痛は少し収まった。まだ痛いけれど、それでもさっきよりは全然マシだ。

 ――やっぱり家には誰も帰って来なくって、さっき電話をかけてみたけど繋がらなかった。
 仕方がないので、私は自室に戻ってベッドの上にダイブ。私の体を受け止めたベッドのバネが反発して、数回私の体を上下に揺らす。この世界に来た最初期の私なら多分これで骨が折れてたかもね。頑丈になったなぁ、私。

 ふと枕元を見てみれば、Celaeno Fragmentsと落書きされた真っ黒な本が目についた。
 思えば、この本も病院で読んだ時以来、怖くて読んでない。

「……」

 怖いはずなのに、私はどうしてかその本を手にとってしまった。
 そもそもなんで枕元に置いてあるのだろうか。この本は本棚の奥に閉まっていたような気がするのだけれど。
 この本の内容はどんな言語にも当てはまらない意味不明の謎の文字が羅列されているだけだ。しかし、前回は何故か一部分だけ読めた。ひょっとしたら今は、もう少しくらい読めるようになっているのかもしれない。

 恐る恐るページを捲る。赤い文字の羅列は、希望に反してまるで読めなかった。
 前は、なんで読めるようになったんだろう。何か条件でもあったかな。何か、切欠でもあったかな。

 

 あの時、何があったっけ――――。

 

 

 

 

 

 ゾル――ゾル――。

 

 

 

 

 

 瞬時に私は本を閉じる。
 瞬時に私は布団を被って蹲る。
 瞬時に私は耳と目を瞑って外の情報を遮断する。

 ああ、なんて馬鹿なことをしたんだ私は。
 こんな一人ぼっちの時に、なんで恐怖を感じながら、あの時の恐怖を一時も忘れられないのにこの本を読もうと思ったのか。

 

 また、あの時のナニカがやって来たんだ。

 

 

 

 ゾル――ゾル――。

 

 

 

 耳が痛くなるほどに必死で塞いでいるのにそれでも音が途切れない。
 何かが、地面を“這う”ような音が止まらない。なんだ、なんだこの音。

 一体――部屋の外に何がいる?

 

 

 ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル――ゾル……。

 

 

 近づいてくる、確実に、明確に、音が大きくなっている。
 吐き気が胃の底から上がってくる。頭痛も激しく呼応するかのように酷くなって――。

 助けて、誰か、誰か……助けて、助けて……!

 

 


「なのはー? 帰って来たのー?」

 

 


「お母、さん……? お母さん!」

 ドアの外から声が聞こえる。間違いない、間違えるはずもない。
 なぜならその声は、私を産んでくれて、私を育ててくれて、私を愛してくれた愛しき母親の声だったのだから。

「部屋にいるの? なのは?」

 私はすぐさま布団を取っ払い部屋のドアの前に急ぐ。早くお母さんに会いたい、早くお母さんの顔が見たい。
 お母さん、私はここにいるよ。だから、だから早くお母さんの優しい顔を私に見せて。学校をサボったことでいくら怒ったっていいから、その後でいいから抱きしめて。

 部屋のドアノブまで辿り着いた私は焦る手つきでノブを掴み、いざ開扉しようと捻りかけて――。

 

「なのは? どうしたのー、扉を開けてー」

 

 手を、止めた。

「……ぁ……ぁぁ……」

 声にならない声が私の口から漏れる。
 え、え? どういうこと? なんで? わからない、意味がわからないよ。
 ドアからゆっくりと後ずさり、私は元いたベッドの位置まで下がった。

 

「なのはー」

 

 なんで、お母さんの声が下から聞こえてくるの。

 お母さんの身長は、小学生の私よりも当然、遙かに大きい。
 だとしたら、ドアの前から声が聞こえてくるのは私の“上から”でなければならないはずだ。
 なのに、なのに――母さんの声は、この私の名前を呼ぶ声は“下方向”から聞こえてくる。
 それもおそらくは、地面すれすれに顔を下ろして発声しなければならないだろうという、低い位置でないと聞こえてこないような。

「お母さん……? お母さんだよね……」

 

 

「なのは、ドアを開けて」

 

 

 そう、お母さんの声は懇願する。私は必死に絞り出し、声を張り上げた。

「か、鍵はかかってないから……お母さんなら、お母さんなら――自分で“開けて入ってこれるよね?”」

 本当にドアに鍵はかけてない。子供の私でも届くドアノブだ。だったら、“お母さんの身長なら簡単に自分で開扉出来るはず”。

 私に一々頼まなくたって――“本当のお母さん”なら、普通に入ってこれるんだよ……?

 

 

 

「なのはー……ここを開けてー……なのはー…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「開けろって言ってるだろ!」










 

 声が、変貌した。優しい、心地良い響きを持っていた声がその面影を無くして。
 耳障りなざわつく声。低く低く重音で、壊れたスピーカーから発せられるノイズみたいだった。

 

「開けろ!」

 ドアが硬い何かに殴打されたような音と共に揺れる。

「開けろ!」

 バキバキと下段からヒビが入っていく木造のドア。

「開けろぉ!」

 

 


「ひっ……!」

 恐怖で身が竦む。頭痛が今まで体験したことのないような痛みの領域に突入する。
 あまりの痛みに頭を抱えれば――どろりとした暖かな液体が手に付着した。

「なに……?」

 視界も揺れ始めて、視力すらもどんどんおかしくなる。
 そんな目でも、それが何かくらいはすぐに解った。“血だ”。真っ赤な、血。
 血が、私の血が止めどなく頭から流れて出て――。

 その瞬間、ユーノと別れてから感じた違和感の全てを理解する。

 そうだ。私が血まみれの服を着てても誰にも気に留められなかったのは。

 

 この街に、誰一人として“存在しなかった”からだ。

 

 なんで、そんなことに気づかなかったのか。誰も居ない、誰も歩いてない街なんて、海鳴ではありえない。

 しかし、唯一存在していた少女がいた。親友を超えた絆の情で結ばれる愛しい女の子が、私に話しかけてくれたではないか。






 “全てが終わった前の世界のように、自分の足で立っていた八神はやてがいたじゃないか。立てるはずのない少女が、私と面と向かって話してくれていたじゃないか。”





 

「――――ひっ、ひひ。あは、あはははハはハ」

 

 何ゼか、私は笑っテいた。
 何モ可笑しクなンてないのに、笑わズにハ居らレなかっタ。

 

「アハ、アハはハハハはハハハ」

 

 モウ、ナニモワカンナイヤ。

 

 ドアガ粉砕スる。

 

 そこカら現レた、醜悪な躰ヲ持ツ何かガ私ニ向かっテキテ――。

 

 ソコカラサキハ、オボエテナイ。

 

 ■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あー、どうやら終わったらしいわ。今度のなのはちゃんは凄かったなぁ。ジェエルシードを一個封印するなんて。あの躰でようやるなぁ、尊敬するでほんまに。
 次は6人目やっけ、7人目? ああ、8人目やったかな。まあええわ。“外なる世界”からやって来るなのはちゃんは人数を重ねるに連れて強くなっとる。そろそろ本腰で相手せなやばいんやないん? “かみさま”」


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